三代目若松若太夫の説経浄瑠璃の公演

 平成28年5月28日、茨城県民文化センターで、茨城民俗学会との共催で、3代目若松若太夫の説経浄瑠璃の公演を行い、約60人の観衆が集まり、今瀬理事長の解説を含めて2時間、皆に楽しんでいただきました。今、日本でも貴重になっている古典芸能です。



 説経浄瑠璃とは
 鎌倉・室町時代の語り物といえば、『平家物語』を語る琵琶法師がいました。それに対してササラでざっくざっくやりながら語る『説経節』もありました。ササラは竹を細く切って作ったたもので、獅子舞や念仏踊りの伴奏にも使いました。
 説経節は町の四つ角で演じました。みんな集まってきて、今日は悲しいお話をしますって言って泣きます。『さんせう太夫』はとくに悲しいので、みな涙を流しました。これでは単純なので、江戸時代になって、操り芝居として京都・大坂(大阪)・江戸・後に名古屋に登場しました。
 これが説経浄瑠璃で、三味線の伴奏が入ります。仏教の色が強く、唱導の変形です。唱導というのは演説によって経典や教義を教えていく方法です。
仏法と芸術が一体となったものです。小栗は善良だったので、殺されても閻魔大王の命令で娑婆へ帰ってきました。
 現在、説経節は東京板橋や八王子、秩父など東京近郊の限られた地域に太夫を残すだけになりました。系統として薩摩と若松の二派がありますが、若松は薩摩の五代家元諏訪仙之助が福島県白河で公演した明治二年(一八六九)から若松若太夫を名乗り、その子息が、昭和二十二年(一九四七)二代目を継ぎ、昭和五十七年(一九八二)東京都無形文化財指定になり。文化庁芸術祭賞を受けています。そして現在三代目です。

 三代目若松若太夫経歴
 本名は小峰孝男。昭和三十九年(一九六四)国学院大学文学部史学科卒業。大学在学中に二代目若松若太夫を訪ね、説経師として勉強を始めま
した。平成二年(一九九〇)に若松峯太夫を襲名、三味線は柏木孝司を襲名、平成七年(一九九五)二代目若松小若太夫、平成七年(一九九五)に三代目若松若太夫を襲名、平成十二年(二〇〇〇)二月、東京都無形文化財保持者認定。板橋区伝承館で説経節の伝承に努めています。本会では平成九年に公演しているので二度目です。
 小栗判官のあらすじ
 小栗判官正清は、都の三条高倉大納言兼家の嫡子ですが、大蛇と契り常陸国に流されます。ある日、商人より相模国の横山殿に、美しい姫のいることを聞きました。名は照手姫で、小栗はまだ見ぬ恋にあこがれ、婿入りが決まりました。しかし、横山一族は小栗を嫌い毒殺しました。姫は美濃国青墓の宿に小萩と名乗り働いていました。
 小栗は閻魔の前に出ましたが許され、相模国藤沢のうわのが原の塚を二つに割って餓鬼阿弥陀仏となり、藤沢上人の教えで、餓鬼阿弥車に乗せられ、道々万難供養として、多くの人に引かれて行きました。青墓の宿から小萩はこの車を大津の関寺まで、五日の間引きました。その利益で小栗は熊野で蘇生し照手姫と結ばれました。

 「葛の葉」のあらすじ
 主人公の陰陽師の安部保名、天文博士加茂保憲の弟子で、芦屋道鑑と後継者争いをしていました。保憲の娘の榊の前は、保名に好意を持ち、家の秘書を渡すため盗み、それが露見して自殺します。これが発端です。保名も恋人の死で狂乱になり、さまよっている間に信田の森で榊の前そっくりの信田庄司の娘の葛の葉姫に会い、正気に戻ります。この葛の葉に横恋慕していたのが、石川悪右衛門で、白狐狩りをした時、保名も同行、つかまりそうになった狐を助けました。それから六年、保名は葛の葉と結婚、男の子をもうけて、安倍野で仲良く暮らしていました。その葛の葉は、彼が助けた白狐の化身でした。ここにいられないと悟った狐の葛の葉は子供との別れを悲しみ、狐の姿をあらわして「悲しくばたずねて来てみよ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」と障子に書き残し、去って行きました。
 この保名と狐の間に生まれた子が安倍清明で、桜川市海老ケ島がその遺称地で葛葉稲荷があります。

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