「風土記」1300年への誘い

~「出雲風土記」 「常陸風土記」のビデオ上映とお話の会~
                                
『常陸国風土記』1300年記念   映像解説 シノ映像制作

元明天皇の和銅6年(716)5月、官命によって,地方史の編集が行われた。全国で作成されたものであるが、現存するのは『常陸国風土記』『豊後国風土記』『肥前国風上記』『出雲国風土記』『播磨国風土記』の五風土記で、今から1300年前ということで、昨年は多くの催が記念行事になった。
「風上記製作委員会」(シノ映像)では、五風土記の映像化に取り組んでいるが、このほど『出雲国風土記』と『常陸国風土記』が完成した。2本とも58分の上映時間で、水戸市では初公開である。
 3月19日(水)
 茨城県立図書館で開催され「出雲風土記」「常陸風土記」のビデオ上映とお話の会で今瀬理事長が「常陸風土記と民話」のテーマで講演をしました
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講演 「常陸風土記と民話」 資料
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 常陸国風土記
 

 映像は、新治郡から始まり、井戸、葦穂山を紹介し関連として、郡家跡、廃寺跡も紹介している。次が筑波郡で筑波と富士の伝承、歌垣などを追って夫女ケ原を映している。平沢遺跡、御座替りなども収録している。信太郡の条では、景行天皇の巡付された浮島、普都大神の荒ぶる神の平定を構き、陸平貝塚も詳細に紹介している。
茨城郡では、黒坂命による茨城の名の起こり、とくに、このあたりは景観にすぐれ、春の桜、秋の紅葉には男女が集い、その美しさを楽しんいる。ここでは、国府跡、国分寺、総社宮、漆文書なども紹介している。
行方郡は常陸国風土記の中では、完本に近い。土地の肥沃、地名の由来など詳細である。玉清井、梶無川、鴨野など、倭武の天皇と弟橋姫命が登場する。旧玉造町には、風土記の像がたくさん造立され、それらも収録されている。麻生、板来などの賑わい、海の産物の多いこと、先住民族の国栖人の物語、夜刀の神 (蛇)の話しは興味深い。とにかく、古代において蛇は脅威だったのである。ここでは神として祀り解決している。
鹿島郡は香鳥大神が高大原におりた所である。鹿島の御船察など、神宮にはたくさんの祭りがある。鹿島の樹林は航空写真で表している。鹿島の信仰は、東北のねぶた祭に要石と鈴が描かれて登場している。白鳥の話し、それに童子女松原は浪漫がある。童子女の松原では、若い男女が歌垣で知りあい、歌を交し、時間を忘れ松の木になった。ここでは制作者が物語を朗読している。
那珂郡は現在の水戸が中心で、巨人伝説の大串貝塚、異類婚姻説話で蛇の子を産んだ朝房山、水が清い晒井が中心に、長者山、台渡廃寺などが紹介され興味深い。
久慈郡では、静神社の静織、長幡部神社の烏織のいわれが語られている。また貿毘礼の山の立遊男命や密筑の里の男女の集いについてまとめている。最後が多賀郡で、現在の小木津付近で倭武の天皇と橘姫命が海と陸の獲物をどちらが多くとるか競いあった物語から飽田村となった。大海のほとりの石壁に刻んだ観世音菩薩が彫られている。これが仏浜である。
この映像は常陸国風土記に書かれた地域を隈なく歩き作成した1300年にふさわしい作品である。
 

 出雲国風土記

 五風土記の中で、『出雲国風土記』のみが完本と言われている。巻末に「天平五年二月卅日 勘造 秋鹿郡人神宅臣全太理 ……」とあるので733年の完成で、詔が下って20年には異説もある。
 ビデオを上映するので、それと『常陸国風土記』の比較をするよい機会である。
 内容は地勢、広さ、国名地名由来、各地の伝説、駅家の配置、社寺の列名、山野河海の形勢、道路、港、動植物の分布、正倉の配置、郡家より各地への里程などを載せ、最後に道度、軍団・烽・戍の所在を書いている。神話には八束水臣津野(やつかみずおみつの)命の国引きをはじめ、天の下造らしし大神大穴持命なども書かれている。一番古い写本は慶長2年(1597)だから、『常陸国風土記』よりかなり古い。
 「国の大きな體(かたち)を首(はじめ)とし、坤(ひつじさる)のかたを尾(をはり)とす。東と南とは山にして、西と北とは海に属(つ)けり。東西(ひのたて)は一百卅九里一百九歩、南北は一百八十三里一百七十三歩なり」
 これが書き出しである。今回の映像は篠崎隆氏が脚本を書き、すべてを足で歩きそれを自ら撮影している。
                                                    (今瀬文也記)
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