茨城寺社巡礼    045

覚王寺 曹洞宗(石岡市府中) 制作:(一財)茨城県郷土文化振興財団


平成16年12月に新築された本堂
 
臥竜梅は白い花を咲かせていた

 
花室観音
 
上州五大寺に数えられる名刹
真言宗から曹洞宗へ
 私が「茨城の寺四巻」執筆のため、本寺を訪れたのは昭和四十八(一九七三)年ですから、三十五年の歳月が流れました。位牌からみると、古開基は覚王院殿前越州太守雄山英徹大居士(明徳三年・一三九二年没)で、寺山に創建、真言宗だったようです。その後、永正年間(一五〇四―二〇)兵火にかかり焼失しました。
 曹洞宗になったのは、大永七(一五二七)年で、信田右衛門公が再建、骨山全徹禅師(徳宗院殿利興永民大居士・天文十八年・一五五九年没)が開山しました。今の場所に移ったのは不明ですが、天正年間(一五七三―九一)にも兵火で焼け、無住の時代が長く続きました。明暦元(一六五五)年になって再興されました。
 本堂はずっと茅葺きでしたが、昭和三十六(一九六一)年、瓦葺きになりました。その後、境内や建物の整備がされ、平成二年十二月に鐘楼、平成四年十二月に山門、平成十六年十二月には本堂が新築されました。

□子育て観音を安置
 本尊は釈迦如来坐像で、成道の釈迦如来で両手を重ねて親指の先を軽く触れています。境内には薬師堂があります。薬師如来像は幾分顔の長い、胸の厚みのない寄木造りの仏像で、十二神将も安置されています。薬師の縁日は八月十一日の薬師万灯で、昔は数軒の露天商も出るほど賑わいました。薬師如来は身体守護に御利益があるというので、「め」と書いた絵馬がたくさん奉納されました。
 覚王寺には花室観音堂があり、石造の子安観音が安置されています。もともとは、花室の東端にある観音山にまつられていましたが、堂がいたみ、観音像も雨ざらしになっていました。それを、地域の人たちの希望によって、昭和五十六(一九八一)年に覚王寺に移し、「子育て観音」として、観音堂を建て安置しました。
 「素朴な中にも温かさあふれる母子愛像からはいつの世にも変わらない子を思う母の愛情が感じられます」と説明板にはあります。

□台風に負けなかった臥竜梅
 今回、本寺を訪れたのは一月二十八日でした。気温一五度の暖かい日でした。つくばエクスプレス(TX)の開通によって、新しい道路が敷設され、寺を探すのも容易でなくなりました。寺の境内にある「覚王寺の臥竜梅(がりゅうばい)が咲いていました。
 この梅の木は昭和四十二(一九六七)年の台風の時、根元から倒れ、枯れてしまうのでは思っていたところ、倒れたまま枝葉を張り続け、花も咲きました。その姿を「地に潜み隠れる竜が雲・雨の来たるを待つ」とみて、臥竜梅と名づけました。
 覚王寺では毎月最終の日曜日の午前九時から座禅会を開いています。とくに、大晦日は午後十時から「年越し座禅会」で、一年のまとめをします。そして午後十一時からは「除夜の梵鐘」をつき、煩悩をはらいます。貪どん(欲望・執着)、瞋(じん)(怒り憎悪・怨恨)、痴ち(無知・愚かさ)の三毒と我執がしゅうがそれです。この夜は甘酒で暖をとり新しい年を迎えます。
八柱神社(桜川市真壁町)   NEXT工事中