茨城寺社巡礼    036

最勝王寺(桜川市) 制作:(一財)茨城県郷土文化振興財団


仏教の基本経典の大蔵経(一切経)が保存されている収蔵庫


境内には多くの石仏群がみられる
 

 
仏教統一を説く一乗思想
鎮護国家の寺
 筑波山大法源院最勝王寺は桜川市真壁町東山田にある天台宗の寺です。寺としての歴史は古く、天応元(七八一)年三月八日に覚仙僧正が法相宗(ほっそうしゅう)として開き、四大寺といっていたということです。
 法相宗は南都六宗の一つで、仏教の力によって国家を守護する(鎮護国家)ことを理念とした、教学研究の集まりで、後の教団とは意味の違うものです。
 天台宗は最澄(伝教大師)によって開かれました。最澄(七六六~八二二)は延暦二十三(八〇四)年、空海(弘法大師)と唐に渡り、翌年、最澄は帰国して、一乗思想を説いて天台宗を開きました。一乗とは法華経にすべての仏教が統一されるという思想です。
 最澄は桓武天皇(七八一~八〇六)に厚遇されていました。最勝王寺の寺名は、最澄が桓武天皇に願い出て、受けた寺名だといいます。このことから、桓武天皇勅願所と言われています。

椎尾山薬王院を兼務
 最勝王寺は、正保三(一六四六)年から明治四(一八七一)年まで、椎尾山薬王院を兼務し、朱印二三石を受けていました。寛文二(一六六二)年には荒れていた寺を本孝和尚が再興し、同六年には融通念仏が広がりました。
 延宝八(一六八〇)年には椎尾山薬師堂が落成し、本孝和尚は元禄二(一六八九)年に信州善光寺へ転住しました。
 嘉永元(一八四八)年、最勝王寺の本堂、庫裏、書院が焼失、嘉永三(一八五〇)年に庫裏、書院などを再建、本堂は安政五(一八五八)年になって再建されました。

百観音を安置
 最勝王寺の本堂には、百観音が安置され、毎月一日には普門講が開かれ、観音経をあげています。寺の行事として、十二月二十二日には星除け祈願の護摩が焚かれます。元旦には元朝護摩、本尊・荼枳尼天(だきにてん)が焚かれ、一年の安全を祈ります。荼枳尼天は人の心の垢あかを食い尽くす神として鬼の形をしていて、人の死を六か月前に予知するとも言います。ここでは、烏丸大明神といい、稲荷神社の本尊でもあります。
 そのほか、涅槃会(二月)、彼岸会、花祭り、山内会(五月)、和讃供養(六月)、盆・施餓鬼(八月)、霜月会(十二月)、十五夜講などがあります。
 本尊は阿弥陀如来で、本堂・経堂・薬師堂・位牌堂・庫裏・大門・山門があります。境内には石仏群も見られます。

一切経は大切な文化財
 県指定文化財として「宋そう版一切経(はんいっさいきょう)」があります。縦三十・三㌢、横十一・四㌢の折本で、中国の宋時代に版行されたものです。江戸時代の初め、天海が一切経を開版する際に、校合用として借用、利用したもので指定数五千百九十五帖の中には、この天海版一切経百巻も含んでいて、資料としては貴重です。
 天海(一五三六~一六四三・慈眼大師)は徳川家康の帰依を受け、江戸上野に寛永寺を創建、関東で力がありました。仏教の基本経典は大蔵経(一切経)で、三蔵といい、経と律と論をいいます。経は仏陀の言葉を集めたもの、律は仏教教団の戒律、論は経と律について注釈したものです。この中には般若心経もあります。最勝王寺の一切経は収蔵庫に保存されています。


法雲寺(土浦市)(035)    NEXT工事中