茨城寺社巡礼    035

法雲寺(土浦市) 制作:(一財)茨城県郷土文化振興財団


中峰がなくなった時に法雲塔印を建てたのを機会に法雲寺とする


現存する正門。昔は南門を正門とし、東西を外門としていた

 
常陸国高岡という処に―

小田治久開基の名刹
 法雲寺は土浦市高岡(旧新治村)にある臨済宗建長寺派の寺院で、正慶元(一三三二)年に小田民部少輔治久が一庵を設け、復庵宗己に柳阜庵を開山させたものです。
 『観応中紀行』には次のように書かれています。「さて、相模鎌倉山のうちと云う所に行つきて、そのあたりに仮のやどりを訪ねとどまり侍りしに、行脚の僧などあまたありし中に、常陸国高岡という処に、やんごとなき法雲寺といふ寺あり、宗己庵主とて空岩和尚の高弟にておはしけるが、在唐久しく給いて、天目の中峰和尚などにもまみえ給いけるとかや…」
 これは、法雲寺という所に立派な和尚がいるという噂を聞いて、観応が記録にとどめたものです。

中国の高峰・中峰和尚から学んだ宗己
 この開山の大光禅師復庵(ふくあん)宗己(そうき)(一二八〇~一三五八)は延慶三年(一三一〇)より、十三年間中国に滞在して、中峰明本(ちゅうほうみんぽん)(一二六三~一三二三)の教えを受けて日本に帰りました。その関係もあって、中峰和尚が寺の開基になっているし、中国の臨済宗の系統を引いて、中峰流の本山にもなっていました。また、この中峰和尚の分骨も寺内に埋葬されています。中峰和尚の師が高峰和尚(一二三八~九五)です。
 寺名は、柳阜庵から正受庵にかわっていましたが、中峰がなくなった時に法雲塔印を建てたのを機会に法雲寺としました。寺の本堂には「後光巌天皇勅命小田城主治久当山創建」「東山天皇勅命近衛中将当山再興」「光格天皇勅額降賜」「臨済宗杭州天目山中峰流法源道場」という木札もみえ、その格式の高さを示しています。
 天正二(一五七四)年四月十三日、火災のため、本堂などを焼失、その後、崇岑(そうしん)が妙心寺派に改め、寺勢が衰えたこともありました。現存する正門は元享二(一三二三)年の建立で、昔は南門を正門とし、東西を外門とし、正門は田宮辻村にあったものです。
 寺域には香取、鹿島、天神、守宮の神社があり、それを守護するため、真言宗の寺もありました。また、病にかかった修行僧のために延寿堂がありました。

文化財の寺
 文化財としては、国指定重要文化財の復庵和尚像、高峰和尚像、中峰和尚像があり、すべて絹本著色です。復庵像は黒褐色の法衣に茶色の袈裟をまとい、両手を袖中にして、松樹の下を経行する姿です。高峰像は杭州西天目山伝来のもので、刈り込みの疎髪に無精髭をはやしています。
 県指定文化財としては、正平九(一三五四)年、法橋によって描かれた釈迦涅槃像、紙本著色の小田政治肖像画、小田氏治肖像画、鎌倉時代末の制作による銅造阿弥陀如来立像、室町時代制作の中峰禅師坐像の寄木造木造、シュヒで作った払子ほっす、中国明時代制作の青磁三階塔、鎌倉時代末の紺紙金泥大般若波羅密陀経、同寺の中世、近世の日記、詩を集めた法雲寺文書など、多くの寺宝があります。
 法雲寺は文化財の多い寺として名刹です。私は何度か訪れていますが、本堂などのいたみが少し気になっています。

北斗寺(つくば市)(034)    法雲寺(土浦市)