茨城寺社巡礼    032

慶龍寺(つくば市) 巡礼者 今瀬 文也


境内には大師堂、薬師堂(眼病平癒)があり、それぞれ信仰されている。
鐘楼は筑波山の中禅寺が廃仏になった時移された貴重なもの


 


 


 
泉の観音様として有名
 
悪疫退散の寺として創建
 「泉子育観音・小児蟲封守護・別当慶龍寺」のお守りを受けに来る人で賑わう真言宗豊山派の寺で、つくば市泉にあり泉の観音様として有名です。
 勢光山慶龍寺は、元和元(一六一六)年に小田原の観音寺の慶龍というお坊さんが「吾れこれより東の方へ行き、広く智方便を施らし、小児を病難より救はん速やかに移すべし」という観音様のお告げがあり、七日間、夢を見たそうです。
 慶龍上人は観音像を笈おいに納め、東に向かって旅に出、筑波山の麓に来ました。そこで、桜川を渡ろうとしましたが、水かさが増して渡れません。困っていると、子供が小舟をこいで現れ、慶龍上人を乗せて対岸へ渡してくれました。
 慶龍上人は、岸辺でしばらく休み出発しようとしましたが、笈の観音像が重くて動けなくなり、そこに小屋を建て観音様を安置しました。その頃、泉村では小児たちに悪疫が流行っていて、村の人たちは大変悩んでいました。慶龍上人は観音様に子供たちの病気が治るように祈りつづけ、やがて病気もなくなりました。そこで、寺の名前を慶龍寺とし一寺を建立しました。元和四(一六一八)年のことです。

観音様が資子を守る
ところで、本尊の正観世音菩薩ですが、伝承では大同二(八〇七)年に弘法大師が彫刻。文明四(一四七二)年に仁和寺の随弟法師が小田原に観音寺を建て安置、徳川家康も深く信仰しました。後は前述の通りです。
 土浦藩主土屋正直は、貞享四(一六八七)年に表門を寄進、保護しました。この門は現在も建っていて参拝客を迎えています。
この地方では、とくに、資子(とりのこ)の祈願が古くから行われています。妊娠すると、まず、安産の祈願をし、出生の際に命名をお願いし、初参りで初めて資子として登録します。その際、小児の顔に墨を付ける印点の虫封じをする風習もあります。
資子になった子供は、観音様の子供として無事に成長するように祈願し、お札、お守り、御符を受けます。この御符は子供が病気になった時、茶碗にきれいな水を汲んで、これを浸して飲ませると病気が治るといいます。
 また、資子になったら、七歳まで、毎年、欠かさず参拝します。なお、資子の資格は七五三が終わるまでです。

成長安全・開運出世も祈願
 結婚十年、子供が出来ずにいた夫婦が当寺に子授けを祈願しました。その甲斐があり、子供がさずかり、資子の祈願も果たし、成長して、希望の学校にも進学できたので、鰐口を奉納したという話もあります。
 境内には大師堂、薬師堂(眼病平癒)があり、それぞれ信仰されています。鐘楼は筑波山の中禅寺が廃仏になった時移された貴重なものです。
 縁日は元旦護摩が一月一日から三日、春季大祭が二月十一日、子供の日祈願会が五月五日、四万六千日大縁日が八月十日、七五三祈祷会が十一月十五日です。とくに、二月十一日の大祭は、露天商が立ち並び賑わい、交通規制がされるほどです。

 
金村別雷神社(つくば市)(031)    常陸国総社宮(石岡市)(033)