茨城寺社巡礼    026

八坂神社(土浦市) 巡礼者 今瀬 文也


本殿は二間四方。近年に改修工事が行われた



元郷社で広範囲の信仰を受けてきた


迎祇園で川口町の御仮屋へ神輿が移される

 
天王様として親しまれる
流れ着いた御神体
 土浦市真鍋町にあり、天王様と言われ、親しまれています。つくば市大形鹿島神社の『御鎮座伝記』によると、弘治三(一五五七)年六月十二日、暴風雨が大形鹿島神社の社殿を損傷し、神体の三振の刀が東南に飛び去り、霞ケ浦の水中に沈んでしまいました。その時、神が漁師の嘉右衛門に神託を下し、「土浦に遷座せよ」と命じました。そこで、嘉右衛門は仮宮を建て、遷座の祭礼をしました。
 これに対して、本社の伝説は、疫病流行の年、大形村鎮座の牛頭天王が桜川に流れてきました。それが霞ケ浦に入り、魚網にかかり、それを祀って、沿岸の天王松の下に社殿を建て、霞ケ浦八坂樹陰神社として祀りました。応永十八(一四一五)年、現在地に遷され、元禄十三(一七〇〇)年、土浦城主土屋政直が再建しました。
 祭神は素盞之男命で宇賀之御玉命が配祀されています。なお、境内社としては、明治、大正、昭和に戦争で亡くなった人たちを祀る招魂社があります。本殿は二間四方、拝殿は間口四間、奥行三間、最近、改修工事が行われました。

霞ケ浦に神輿渡御
 かつては、浜降りとも言われ、神輿の渡御は、氏子総代を先頭に、金棒引き、社旗持ち、獅子、猿田彦、太鼓、鉾旗持ち、榊持ち、大鉾、四神旗持ち、金幣、賽銭箱持ち、神職、神輿、台持ち、神職、供奉人、山車と続く盛大なものでした。
 この祭りを伝える資料として、文化九年(一八一二)の『土浦祭礼之図』『土浦の祇園絵』があります。この祭は、かつてお船祭として昭和三十(一九五五)年まで行われていましたが、桜川の改修工事の時、中止になりました。
 『土浦祭礼之図』によると、祭礼は七日間行われています。この中には旧虫掛村、そろえを先頭に牛頭天王像、神輿行列、東崎町世話人、本町そろえ、仲町山車、田町と横町の大名行列、川口そろえ、中城山車、吹流緒そろえ、田宿そろえ、裏町・田中そろえ、世話人、最後は大町そろえ、世話人とあり、その他を含むと、十三町村から二千百人が参加した大きな祭でした。

山車・屋台で疫病退散
 現在の祭は十九町が参加しますが、氏子を四つに分け、一グループごと、四年に一度、当番として、山車や獅子屋台を出します。非当番の場合の出社もあります。四つの組は次のように分けてあります。
① 桜町一丁目、二丁目、三丁目、四丁目
② 千束町、文京町、生田町、田中一・二・三丁目
③ 大町、大手町、中央一丁目、中央二丁目、立田町
④ 城北町、東崎町、川口町、大和町
 今年は、④のグループが当番で、城北町から人形山車(聖徳太子)東崎町から獅子屋台、川口町から人形山車(神武天皇)、大和町から人形山車(日本武命)が出ました。非番の町でも文教町、田中一丁目、大町、桜町四丁目など山車や屋台を出し町内を巡りました。
 七月二十日は笠揃い、各町内で演じます。七月二十一日が迎祇園で川口町の御仮屋へ神輿が渡ります。二十二日が本祇園で、市内を神輿や山車、屋台が歩きました。二十三日は送祇園で、天王様が御仮屋から真鍋の本社へ戻りますが、御仮屋前で当番の獅子と山車が囃子を披露しました。
 土浦市真鍋の八坂神社は、元郷社で広範囲の信仰を受けてきました。流れ着いた牛頭天王を祀るため、浜降りする形は土浦市の他の八坂神社にもみられます。夏は疫病が多いので神様を神輿に乗せ出社、山車、屋台がそれを迎え、囃子などを奏して賑やかにし、疫病を追い払う行事にしました。

宝積寺 (土浦市)(025)    NEXT工事中