茨城寺社巡礼    025

宝積寺(土浦市) 巡礼者 今瀬 文也


ビルマのラングーンの本山シューダゴンバコダから奉納された釈迦如来像




 室町時代後期か桃山時代の作といわれる石造灯籠は市の文化財

 
汽車の飛び火によって、本堂などを焼失。現在地に新しく建てられた本堂
 

 
困難を乗り越え文化財を守る

木田余城跡に建立
 木田山歓喜院宝積寺は、土浦市木田余町にある曹洞宗の寺で、最初は宝積(現・木田余東台五丁目)にあったので、それが寺号になりました。
 徳治元(一三〇六)年に小田宗知が開基したと言われています。初めは、真言宗か天台宗の密教系の寺院で、その後、臨済宗法雲寺(旧新治村・現土浦市)の末寺を経て、曹洞宗雲集寺(旧千代田村志築・現かすみがうら市)の末寺になった。
 天正年中(一五七三~九二)には、菅谷政貞が曹洞宗像天守香禅師を迎え、中興開山したといいます。江戸時代になって、下野国鹿沼城から土浦城に移ってきた朽木植綱によって、木田余城本丸跡に移されました。その後、明治三十六(一九〇三)年になって、汽車の飛び火によって、本堂など焼失、現在地に移りました。
 宝積寺のあった木田余城は天正六(一五七八)年、佐竹氏によって滅ぼされ、壕も埋められました。現在は本丸跡だけが残り、土浦市の史跡に指定されています。 

貝多羅葉経典はビルマから
像高八十八㌢の木像地蔵菩薩像は市指定の文化財で、室町末期の制作です。材料はヒノキを使用、寄木造りで、首は耳の後ろで矧ぎ、胴体に差しこまれています。眼は玉眼入りです。胴体は前後に両肩、両手も矧ぎ合わせてありますが、両手、両足は欠けています。
 貝多羅葉(ばいたらよう)経典は工芸品として、市の文化財に指定されています。貝多羅葉は古代インドやビルマで産したシュロ科ターラ樹を乾燥してこれを横五十㌢縦五㌢に切ったものです。表面に鉄筆を使い、サンスクリット文字で経典を書いたものです。
 この貝多羅葉経典は昭和十三(一九三八)年に宝積寺十五世の俊道和尚の弟文雄さん(ビルマ在住)から贈られたものです。ビルマのラングーンの本山シューダゴンバコダにあったもので、釈迦如来坐像(六十五㌢)とともに、寺へ奉納した貴重なものです。

文化財保護の寺
 市指定文化財の工芸品として銅製柄鏡もあります。径一一・七㌢、柄の長さ十㌢、柄の幅二・一㌢で背面に布袋の絵と「天下一若狭守」とあり、江戸時代初期の作品と「土浦市の文化財」には書かれています。
 境内には石造灯籠があり、市の文化財になっています。六地蔵形石灯籠で、室町時代後期か桃山時代の作といわれています。火災にあったため、笠は失われ、大きいものが付けられています。
 宝積寺門前にある石造浮彫馬頭観音像は彫刻として、市の文化財に指定されています。花崗岩で像高九十六㌢、多臂(たひで)三面は忿怒相(ふんどそう)です。馬頭観音信仰は昭和初年までは盛んで、石塔や石造の建立が行われました。
 寺は長い歴史の間には、火災にあったり、支配者が変わったり、無住になったり、維持するのは困難な時代もありました。宝積寺もその例には漏れませんが、多数の文化財を維持し、木田余の文化を伝えています。

一ノ矢八坂神社 (土浦市)(024)    NEXT工事中