茨城寺社巡礼    022

大聖寺(土浦市) 巡礼者 今瀬 文也


境内、墓地、山林など寺域はきれいに手入れされている


北関東三十六不動尊霊場三十一番札所として
多くの参拝者がある


稲敷市の大杉神社の分霊祀った大杉殿


護摩堂


金剛界大日如来像の石仏

 
文化財多く、自然に恵まれた寺

 羽黒山今泉院大聖寺は永国町にある真言宗豊山派の寺で、境内が広く、建造物もたくさんあります。ホームページを開き、寺を訪れやすく解説しています。私が『茨城の寺・四』で一九七五(昭和五十)年に取り上げてから三十一年経ち、寺も整備され、昔のイメージとは大分、異なっています。現在の本堂は昭和六十(一九八五)年に建ったものです。

千年の歴史を伝える
寺の伝えるところでは、長徳元年(九九六)、醍醐寺の成尊僧都により、今泉寺として開かれたといいます。応安七(一三七四)年、祐尊の時代に、小田孝朝により、小田領四か寺が定められました。東に南円寺、南に法泉寺、北に普門寺、西が大聖寺(今泉寺を改称)で、田中荘平塚(つくば市)に移され、現在地に戻ったのは、大永六(一五二六)年と言われています。
 寺は火災にあうことが多いのですが、大聖寺も貞享二(一六八五)年に堂宇を焼失、四年に再興、土浦城主松平信興から山門が寄進され、現在、市指定文化財になっています。その後、文久三(一八六三)年に本堂はじめ、伽藍を火災で失いました。その後、土浦城主土屋氏の寄進があり、延享二(一六八五)年には門末百六十か寺があり、明治初年の排仏毀釈まで、檀林所格でした。
 市指定文化財として前述の山門のほか、四脚門もあります。簡素に出来ていて、武家の門のように思われます。寺伝では慶安二(一三六九)年の建築とも言われ、部材の古さからその頃と思われます。ここには「大聖寺」の扁額が掛かっています。

本尊は不動尊
 再建された本堂は間口十一間、奥行十間、本尊は不動明王で市の文化財に指定されています。像高四十四㌢、一木造り、両手は差込、彫眼で、室町時代の作と思われます。そのほか本堂には愛染明王、地蔵菩薩、歓喜天、弘法大師像が安置されています。平成十二年に完成した本堂の欄間には「弘法大師一代記」八枚が彫刻されています。
 ほかに、鎌倉末期作と言われる「絹本両界曼荼羅」、小田氏治が天正三(一五七五)年に寄進した掛軸「篭天神」、慶安七(一三七四)年に書かれた古文書「小田孝朝下文」などがあり、土浦市の文化財に指定されています。
 境内には、金剛界大日如来像の石仏があります。寛文十三(一六一三)年の建立で「奉造立本尊二世安楽処」の銘文が見られ、土浦市の文化財に指定されています。また、新四国八十八か所巡りの札所も作られ、一度に回ることが出来ます。
 昭和五十年に訪れたとき、本堂だった建物は護摩堂になり、茅葺から銅板葺になっていました。平成三年再建の大師堂や鐘楼堂があります。
羽黒権現の本地仏の聖観世音菩薩は六㍍近くあり、毎年九月十八日に戦没者の供養をします。また、大杉殿は稲敷市の大杉神社の分霊を祀ったものです。

五ヘクタールの寺域
 大聖寺は境内、墓地、山林あわせて、五㌶あり、多くの植物が群生し、鳥類も見られます。鳥類についてはホームページで詳細に紹介していますが、周囲の環境破壊によって、鳥類が少なくなっています。オナガが減少しハシブトカラスが増加し、境内から間もなく鳥類が姿を消すのではと懸念されています。
 寺の行事は元朝参り、初大師(一月二十一日)、初不動・護摩会(一月二十八日)、施餓鬼(七月二十四日)、新盆掛軸供養(八月七日)、戦没者供養・平和記念祭(九月十八日)、納めの不動(十二月二十八日)があります。とくに、北関東三十六不動尊霊場三十一番札所として多くの参拝者があります。





大宝神社 (下妻市)(021)    善応寺 (土浦市)(023)