茨城寺社巡礼    020

弘経寺(常総市) 巡礼者 今瀬 文也


 本尊は阿弥陀如来像坐像







本堂には文化財が多くみられる



 
千姫も再建に尽力する

千姫ゆかりの寺
 寿亀山天樹院弘経寺(じゅきさんてんじゅいんぐぎょうじ)は浄土宗に属し、応永二十一(一四一四)年七月、嘆誉良肇(たんよりょうひつ)によって開山されました。最初、飯沼村にあったので、今でも飯沼弘経寺といいます。県内には結城、取手にも弘経寺があり、三弘経寺と言われています。
 九代存把上人は天正年間(一五七三~九一)の住職で、天正五(一五七七)年、天正の戦い(北条氏と多賀谷氏)で堂塔を失いました。その時、存把上人は寺宝類をまとめて、結城に去り、後に山号、寺号ともに同じ弘経寺を建立しました。そのため、飯沼の弘経寺は無住になっていました。
 その後、照誉了学が十代を継ぎましたが、弘経寺は荒れ放題になっていました。この時、了学上人に帰依したのが徳川家康で荒廃した寺も再興されました。
千姫は豊臣秀頼の妻で、大坂城落城後、本多家に再び嫁ぎました。しかし、寛永三(一六二六)年、夫の忠刻が死亡、江戸城に戻り、天樹院と号しました。その頃、千姫も了学に帰依、再建に尽力しました。

華麗さが残る内陣・外陣
 現在の本堂は朽ち果て再建の話がありますが、寛永六(一六二六)年に起工し、寛永十年に完成した建物です。棟札の裏面には「寛永十年霜月廿五日、奉行・藤原土井大炊頭侍従利勝、大工・五百羽大隈守正次、小工・瀬河善右衛門」とあり、利勝は古河城主になった人です。
 その時は十一代の南誉雪念(なんよせつねん)で、関東十八檀林の一つとして、多くの僧侶を養成しました。その後、何度か改築があり、特に、正面の向拝は幕末に改造されたもので、当初のものでなく、景観を損ねています。
 内部は安土桃山時代の華麗な装飾がみられます。私が訪れたのは昭和五十(一九七五)年頃でしたが、外陣と内陣を区切る結界欄間の装飾、彫物の見事さには驚きました。

千姫姿絵など貴重な文化財
 本尊は阿弥陀如来像坐像です。寺は無住が続き荒れ果て特に本堂は倒壊のおそれもあり、解体修理されるようです。本堂には文化財が多くみられ、常総市の文化財に指定されています。
善光寺式金銅阿弥陀如来像は南北朝時代の制作といわれ、持内仏です。
 書籍の阿弥陀経は、阿弥陀三部経を書写したもので、紺色に染めた紙に金泥がみえます。弘経寺万撫上人(寛文年間住職)の奥書があるので、この時代のものと思われます。また奥書に天樹院(千姫)の忌日寛文六丙午とあり、千姫の娘が納経したようです。
 絵画の千姫姿絵は鹿の子しぼりの打掛け姿に葵の紋をちらし、胸元には藤の花房がたれています。
 弘経寺扁額には「源秀忠公御息女天樹院建立」「寛永六年己巳七月十五日住持団連社照大和尚」とあり、寺伝では千姫の直筆といわれています。
 そのほか、工芸品として、紫龍石の硯、鎧、天然記念物として弘経寺の杉があります。そして、千姫の墓は史跡です。
 千姫の墓は本堂に向かって左側にあります。墓石には、「天樹院殿栄誉源法松山大姉」の法名があり、小石川の伝通院から遺髪が移されたものです。この墓を含めて弘経寺は再建することになりました。常総市では「千姫祭り」を行って顕彰しています。



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