茨城寺社巡礼    017

飯名神社(つくば市筑波) 巡礼者 今瀬 文也


 祭神は宇気母知神(保食神)と市杵島姫命





 
月水石神社
 
男女川


飯名神社の奥の院とされる月水石神社
 
古代の雰囲気を伝える境内

 飯名神社の創立年は分かりません。先日、神社を訪ねてみましたが、古代から続く厳かさが境内に漂っていました。男女川が流れ、筑波石もたくさんみられます。
 明治九(一八七六)年九月臼井村にあった楯野、日枝、八坂、白山、赤山、熊野の各神社を統合しています。
 祭神は宇気母知神(うけもちのかみ)(保食神)と市杵島姫命(いちきしまのひめのみこと)です。神様は『古事記』、『日本書紀』に登場します。そのほか、須佐之男命(すさのおのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、大己貴命(おおなむじのみこと)、金山毘古命(かなやまびこのみこと)が配祀されています。
 保食神は伊邪那岐命と伊邪那美命の子で、五穀をつかさどる神様です。この神様は鼻、口、尻から様々の食物を出し、きたないというので殺されました。死体から、蚕、稲、栗、小豆、麦、大豆が生えたと「記紀」にあります。
 市杵島姫命は天照大神あまてらすおおかみの子で、後に弁財天と同じように考えられて、宮島の厳島神社の祭神になり、全国に勧請(かんじょう)され、市神(いちがみ)ともいわれています。

 □飯名弁天と月水石神社
 飯名神社も、その由来から「飯名弁天」として信仰されてきました。弁財天は七福神の一つで、福を呼ぶ神様です。本来はインドの神ですが、習合(しゅうごう)したようです。また、水の神としても信仰されましたが、飯名神社に弁天様の形はなにもありません。
 拝殿に奉納額として、「東京消防第五区」があり、大門町、稲荷町、松栄町など七十八町の名がみられます。火を消すことからの信仰で弁天様にあげたものです。
 ところで、創建のことについて社務所掲載の「飯名神社由来記」を参考に考えてみます。宮本宣一著『筑波歴史散歩』(昭和四十三年刊)は想定ですが、面白く書かれています。飯名神社から一㌔上に月水石神社があります。私もここへ行ってみました。
 「当祭神は筑波山両神イザナギ、イザナミ命第四御子磐長姫(ゆわながひめ)を祀る。病にて登る事能ず。此の地に於て崩ず。両神の下命にて下々の守護神と成る」の由来記が掲示されていました。これが飯名神社の奥の院とする見方もあります。
 飯名神社には巨岩があり、男石、女石があり、夫婦石といわれています。とにかく歴史の古いことは確実のようです。

 □創建説話もたくさん
 『万葉集』の東歌(あずまうた)も飯名神社に関する歌としてあげられています。三三五一番の歌です。

   筑波嶺に雪かも降らるいなをかも
     かなしきころがにぬほさるかも


 この「いなをか」を稲岡として飯名の前身としています。「稲岡から筑波山を見ると、白いものが点々として見える…」と『筑波歴史散歩』にはあります。私は「筑波山に雪でも降ったのであろうか。そのようではないかもしれない。私のいとしいあの娘が洗った布を干したのであろうか」と訳しました。
 『常陸国風土記』からは信太郡(しだぐん)の条に「その里の西に飯名の社あり。此れは即ち、筑波岳に有いませる飯名の別属(わかれなり)」とあり、現在の龍ヶ崎市に飯名神社の分社が勧請されているので、常陸国風土記の時代に飯名神社は存在したと思われます。
 長戸家文書に「稲名野神社伝記」があり、それに「当社勧請は康正二(一四五六)年十一十六日飯奈野の地に宮造立有て保食神鎮座し給ふ」とあります。また、天正十九(一五九一)年の正月初巳に遷宮されたこと、万治三(一六六〇)年三月十四日に弁財天を造立、市杵島姫命を祀ったことがみえます。
 筑波山の弁慶七戻り付近で発掘された鰐口(わにぐち)には「常陸国北条郡臼井村稲野宮鰐口檀那衆文明十一(一四七九)年五月二十五日」とあるそうです。
 お祭りは旧正月の初巳です、筑波山の麓の由緒ある地に鎮座する境内には稲荷、愛宕、三峰、山の神の境内社もみられ、その歴史を伝えています。

 


境内には万葉歌碑が建てられている

 筑波嶺に雪かも降らるいなをかも
     かなしきころがにぬほさるかも


大御堂 (つくば市)(016)    海蔵寺 (土浦市)(018)