茨城寺社巡礼    015
筑波山神社(つくば市) 巡礼者 今瀬 文也


大勢の参拝者でにぎわう本殿


御座替祭神事


男体山で無事に御座替を終え、祭り衆は神職からお祓いを受ける


     
慈悲深い筑波の男女神
 筑波山神社は筑波男大神(伊邪那岐命)と筑波女大神(伊邪那美命)を祭神とし、男体山頂と女体山頂にそれぞれ鎮座し、夫婦和合、縁結び、五穀豊穣神として知られています。拝殿は南面の中腹二七〇㍍の所にあります。祭りは年越祭が旧一月十二日、十三日、十四日に行われ、例祭は四月一日、春季御座替祭と言い、十一月一日は秋季の御座替祭です。八月にはガマ祭があります。
親子の慈悲伝える御座替
この御座替には、いくつかの伝承があります。筑波の二神は慈悲深く、冬の山頂は寒いので子神を山麓の神殿(六所)に移し、親神は山頂の奥の院に入ります。そして春になると、子神を山頂の涼しい所に移し、親神は里宮である六所神社に降ります。
 また、一説では反対に子神が親神思いであるためともいいます。また、山の神、田の神の交換のためとも考えられます。昔は冬季と夏季に行われていたともいいます。夏至は陽気が上に昇るので、男神が下に女神が上に行くというのです。
 筑波には男体、女体、子供(稲村)の三つがあって、男体と女体がアミ橋を渡って一緒になるのが四月一日であるともいいます。昔は六所大神宮より神輿を出し、夫女が原を経て、ササムカエバに待機し、ここで両神を迎え、筑波山神社境内に設けられた仮宮でオザガワリ祭を行いました。その後、サカムカエバの儀式を六丁目のお仮屋で行い、筑波山神社拝殿に還御するようになりました。
かつては神仏習合の聖地
 延暦年間(七八二~八〇五)に法相宗の徳一大師が筑波山寺(中禅寺)を開山、それから後は、筑波山二神と中禅寺を合わせ、神仏習合の地となり、江戸時代には徳川家の祈願所ともなりました。
 寛永十(一六三三)年、三代将軍家光の寄進した建物が中心になっています。かつては、千手観音堂(大御堂)を中心に、奥に八角円堂の十一面観音堂、左に三重塔、右に日枝、春日の両社殿、一段下に厳島神社、楼門、鐘楼が立ち並び、前面に神橋を渡して、とてもすばらしいものでしたが、明治の排仏毀釈で仏教関係はすべて、破却されました。そして、筑波山神社が建立されました。
太刀は国、建造物は県文化財
 日枝、春日両本殿と拝殿は県指定文化財です。日枝神社は蟇股かえるまたに山王の神使猿の彫刻があり、春日神社には鹿が彫ってあります。三間社流造、銅版葺(旧柿葺)で、様式から寛永十(一六三三)年ごろの建立と思われます。拝殿は両本殿の中軸線上に建つ、桁行五間、梁間二間の入母屋造の建物です。
 厳島神社も県指定文化財で、方一間、柿葺で周囲には池が回してあります。建築年代も前の二社と同じ頃です。
 神橋は桁行四間、梁間一間切妻造、柿葺の反橋で県の文化財に指定されています。なお、随神門は八脚門の入母屋造で文化八(一八〇五)年の建立です。年に二回の御座替祭と年越祭の時だけ渡ることが出来、渡ると縁起がよいと言われています。
 太刀は「吉宗」の銘が刻まれた、鎌倉時代の備前一文字派の刀工の作といわれ、柄や鞘に葵の紋がちりばめられています。これは国指定重要文化財です。
三十六歌仙絵    
 筑波神社には家光の社殿建造を記念して社僧栄増が奉納した三十六仙絵が三十四枚あります。絵は加納采女正、書は知恩院門跡良純です。采女正は後の探幽で、三十二歳、寛永十年六月二十八日の作で、赤人と宗于の二点が不明です。絵はいずれの歌仙も上畳に座し、畳は緑色です。
御利益のある筑波禅定
 筑波山禅定はイワヤをつぎつぎと参拝することによって、身体の鍛錬と精神の修養を願う目的があります。第一番大山祇のイワヤで十一面観音を祀っています。第十番月読のイワヤ、第三十番大天狗のイワヤと続き最後が第六十六番で叶石です。禅定は修験からきたもので、天下泰平、五穀豊穣、子孫長久に御利益があるとされています。
 

巫女たちのかがいの舞い 

女化神社 (龍ヶ崎市)(014)    大御堂 (つくば市)(016)