茨城寺社巡礼     013

八柱神社(桜川市真壁) 巡礼者 今瀬 文也


本殿の壁面にはたくさんの彫刻が施されている




 



     
素晴らしい彫刻をちりばめた本殿

 現在の八柱神社は、八九〇(寛平二)年創建の牛頭天王(素盞鳴命)で、一八七一(明治四)年、村内にあった雷神社(別雷命)、愛巖神社(軻遇突知命)、富士浅間神社(木花咲耶姫命)、新宮八幡神社(誉田別命)、稲荷神社(倉稲魂命)、日枝神社(大山咋命)、厳島神社(厳島姫命)を合併した神社です。
 □本殿・拝殿は県・市指定文化財
 私が最初に八柱神社を訪れたのは、一九七二(昭和四十七)年で、県教育庁文化課文化財保護主事として、指定調査をする一色史彦氏(文化財審議会委員)のお供をした時です。本殿、幣殿、拝殿が連結し、本殿と幣殿は一体になっていて、建物の形式、彫刻をちりばめた本殿など神社というより、仏堂ではないかと、彫刻の素晴らしさと合わせ、たいへん驚きました。この年の十二月、本殿は県指定文化財に指定されました。
 一九八一(昭和五十六)年には、茨城県近世社寺建築緊急調査が行われ、この時、私は調査員として参加しました。この後、一九八六(昭和六十一)年に拝殿が市(旧真壁町)指定文化財に指定されました。
 □元は聖天堂
 明治初年の排仏毀釈によって、聖天堂の別当だった金剛院は廃絶しました。『真壁町の文化財』などを参考に八柱神社の歴史をお話してみます。本殿はもとの聖天山恵日光寺金剛院(真言宗)にあった聖天堂です。金剛院は不動明王を本尊とし、嵯峨の大覚寺の末寺で漆箱表に「御朱印聖天山金剛院嵯峨御所親王功徳院御印室」裏には「天保九戌閏四月日恵日光寺住院家天寿代」とあり、箱の中には朱印状などがあります。
 「茨城県近世社寺緊急調査報告書」から建物の様子を紹介しますが、建築用語なので少々難しいかも知れませんが写真を参考に理解していただきます。
 本殿は方三間入母屋造(さんげんいりもやづくり)で、背面と両側面の軒は唐破風(からはふう)になっており、正面と両側面に桟唐戸(さんからと)が設けてあります。組物は三手先(みてさき)とし、擬宝珠勾欄付切目縁(ぎぼうしゅこうらんきりえめえん)を四周に廻らし、脇障子がついています。縁下は腰組で、柱、長押類には地紋彫りがあり、木鼻(きばな)・拳鼻(けんばな)、尾垂木(おたるき)には動物の頭を彫刻し、各部壁面には人物などの丸彫彫刻で埋め尽くされ、それが総体極彩色色塗という豪華な建築物です。創建年代は彫刻墨書に「天明五年」(一七八五)とあり、その頃と思われます。
 拝殿は桁行(けたゆき)三間、梁間はりま二間で本殿と比較して質素ですが聖天建築の特色を出しており、昭和六十二年に解体工事が行われています。
 金剛院の資料として「金剛院文書」、紀州の金剛寺から移された「絹本着色涅槃図」(享保十一・一七二六)「紙本着色金剛界曼荼羅」があります。
 □壁面彫刻と信仰
 この彫刻について『筑波山愛ものがたり』(佐賀純一著)は三種類に分けています。生命・男女関係を肯定するもの、中国古代仙人を描いたもの、闘争から平和の世界にいたる様子の中に子供を描いたものなどで聖天信仰が描かれています。
 聖天信仰とは何なのか考えてみたいと思います。象のように鼻の長い像二体が抱き合っている聖天様もあります。秘仏で一般には開帳しないことが多いようです。私はある寺で撮影しましたが、ピントがあいませんでした。
 聖天は大聖歓喜自在天(たいせいかんきじざいてん)の略で、一般には歓喜天といいます。もともと、バラモン教の神で、仏教に入り、病魔退散、夫婦和合、長寿延命の守護尊として信仰されています。
 かつて八柱神社では、二十センチほどの銅造聖天像に香油をかける浴供の行事を行っていました。行事は旧暦三月二十一日で、弘法大師の命日にあたり、御影供といい、その日、たくさんの参詣人が集まり、像に香油をかけて諸々の願いことを祈っていました。現在、聖天像は不明で行事はありませんが、神仏混淆の祭りとして意義がありました。
 牛頭天王と聖天堂は観音寺を別当寺としており、観音寺廃絶後、牛頭天王に合併して新たに発足した八柱神社の本殿、拝殿として現在にいたったと考えられます。

 
「筑波山愛ものがたり」(佐賀純一著)にも登場する
仙人などの丸彫刻

普門寺 (つくば市)(012)  
女化神社 (竜ヶ崎市)(014)