茨城寺社巡礼     010


常福寺(土浦市) 巡礼者 今瀬 文也


重要文化財指定の木造薬師如来坐像

   
   
   

     銀杏の大木が歴史を物語る

 □平安時代の創建
寺院には山号・院号・寺号があり、本寺は東光山医王院常福寺といい、新義真言宗に属しています。創建当時は天台宗で、院号の医王にありますように、本尊は薬師如来です。
 寺は土浦市の中心街から西南の桜川をすぐ下にし、市内を一望できる高台にあり、銀杏の大木が、その歴史を物語っています。
寺の創建は桓武天皇(かんむてんのう)の時代(七八一~八〇六)といわれています。天台宗は八〇五(延暦二十四)年、最澄(さいちょう)諡号(しごう)伝教大師七六七~八二二)が比叡山延暦寺を建て開宗しました。
 茨城県には最澄の弟子の最仙(さいせん)と円仁(えんにん)(慈覚大師)が来て、天台宗の布教につとめました。最仙は常陸講師で、筑波を中心を歩き、既存の法相宗ほっそしゅうの寺を天台宗に改宗したり、新しく寺を建てました。
 常福寺もその一つで、東城寺も最仙の開創で天台の力が強かったのですが、小田家が真言宗に帰依したこともあって、二寺とも真言宗になりました。
 寺伝によると、室町時代に境内や寺林を整備されました。銀杏の大木はその時植えたものなのでしょう。江戸時代初期には宗観大徳晋住が布教につとめ、その徳を慕って、多くの人々が集まり、七堂伽藍が整いました。

 □本尊は薬師如来
本堂には国の重要文化財に指定されている薬師如来像が安置されています。最仙の作と言われていますが、平安時代末期の作と「指定調書」にはあり、定朝様じょうきょうよう地方化の代表作になっています。像高一二一㌢、寄木造よせぎづくり、漆箔(しっぱく)、彫眼(ちょうがん)で、螺髪(らはつ)のつぶは細かく整っており、面は伏目の穏やかな目鼻立ちです。右手は施無畏印せむいん(恐怖を除く)を結び、右手に薬壷やっこを持っています。
 薬師如来は病気を除き、人を浄土に導く十二の誓願せいがんを立て仏となり、東方の浄瑠璃光じょうるりこう世界に位置しています。脇侍として向かって右に月光菩薩、左に日光菩薩を置き、眷属(けんぞく)として十二神将を従えています。十二神将は十二支の名により甲神像、子神像などといいますが、兜、鎧姿の天像です。

 □不動・文殊・釈迦を安置
 境内には宗祖弘法大師を祀った大師堂があります。ほかに不動明王を祀る不動堂、文殊菩薩を祀る文殊堂があります。不動明王は「山のように動かない」の意味を持ち、密教系の寺では護摩供に祀ります。剣と絹索(けんさく)(縄)を持ち、憤怒相をし、悪を退治します。
 文殊菩薩は智慧の菩薩として信仰され、吉祥金剛ともいいます。釈迦三尊像では向かって右が文殊、左が普賢菩薩です。文殊菩薩は釈迦如来の智慧を人々に伝える役目があります。像によっては獅子に乗っています。
 インドから贈られた釈迦如来像が安置され、ルンビニー(釈迦の誕生地)、ブダガヤ(釈迦悟りの場)、鹿野園、クシナガラ(釈迦入滅地)、祇園精舎ぎおんしょうじゃ(僧院)の礎石、土が供えられ、その御利益に接することができます。釈迦の生没年は不明ですが、ソクラテス、孔子とほぼ同じ時代で、日本の縄文時代晩期から弥生時代に移る頃でした。
 聖地の地には青銅の子育地蔵をはじめ多くの石仏・石塔がみられます。この中には無縁仏も多く見られます。

 □盛んな年中行事
 寺の年中行事としては、一月八日初薬師、一月二十一日初大師、一月二十四日初地蔵、一月二十八日初不動です。毎月の行事ですが一月だけは特別縁日をもちます。
 二月の節分には紫灯護摩さいとうごまを焚き、過去一年の神仏の札、古い位牌などを焼き、自分自身の煩悩ぼんのうも焼き尽くし、所願成就しょがんじょうじゅを祈ります。
 二月十五日涅槃会えはんえ(釈迦入滅忌)、二月十五日正御影供しょうみえく(弘法大師忌)、四月八日花祭り(釈迦降誕会・灌仏会)とそれぞれ行事をもちます。
 八月第一日曜日は施餓鬼会せがきえです。餓鬼道で苦しむ衆生に食物を施して供養します。十二月十二日は覚鑁忌(興教大師)です。覚鑁かくばん(一〇九五~一一四三)は新義真言宗の開祖者です。そして一年の納めが十二月八日の成道会です。これは釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた日です。

妙法寺 (桜川市)(009)    東城寺 (土浦市)(011)