茨城寺社巡礼     008
神龍寺(土浦市) 巡礼者 今瀬 文也

本尊は白衣観世音菩薩
         土浦城主と関係の深い寺

 土浦市文京町にある曹洞宗の寺で、宝珠山(うじゅさん)と号している。寺は天文元(一五三二)年、土浦城主菅谷左衛門入道全久の菩提寺として創建された。開山は即庵禅師そくあんぜんじの弟子、雪田真良(せつでんしんりょう)である。

 その後、土浦城主は頻繁に代わった。菅谷家は佐竹氏と戦って敗れ滅亡。慶長年間(一五九六~一六一四)は松平信一、正保四(一六四七)年には西尾忠照、承応三(一六五四)年は朽木種綱、延宝五(一六七七)年は土屋数直、貞享元(一六八四)年は松平奥衡と続いた。そして、元禄二(一六九〇)年には土屋家が戻り、政直が城主になり、神龍寺を菩提寺にした。

 寺は隆盛を極めたが、文化十三(一八一六)年の大火で本堂などすべてを焼失した。その後、天保十二(一八四一)年、住職大寅だいいんが土屋家十代の寅直公に願い出て、飢饉救済のお助け普請として本堂を再建した。

 住職の大寅は藤田東湖、佐久良東雄、色川三中と学問を語り、書画に通じ「一筆竜」は雲煙飛動し、火よけの竜として信仰されてきた。

 本尊は白衣観世音菩薩。寺宝としては県指定文化財の絹本着色普賢菩薩像がある。二十臂像で四匹の白象の上に座り、白象の頭には四天王が配してあり、延命にご利益ある。室町時代の作品。

 なお、現在の本堂は一九九八(平成十)年に再建されたもので、十月二十五日、稚児行列、落慶法要が行われた。
 境内には石仏がたくさんある。その中に「隠れキリシタン」の像といわれる如意輪観音石仏がある。胸に十字架の浮き彫りのようなものがみられ、「結集七拾一人元禄戌午七年九月十九日」と彫ってある。なお、この石仏は廃寺になった末寺の正安寺墓地で発見されたものである。

 墓地には町人学者として名を残した色川三中、色川三郎衛の墓がある。なお参道前には無縁仏の墓石が積まれており、寺域は土浦城の遺跡になっている。◆

本堂内陣と天井画の龍

         




徳境内にはたくさんの石仏がある。本堂は1998年に再建された





 天井画の龍
六地蔵寺 (大洗町)(007)    妙法寺 (桜川市)(009)