茨城寺社巡礼     005
薬王院(水戸市) 巡礼者 今瀬 文也

間口7間の本堂は国指定

         豪壮優美な伽藍をもつ名刹

 薬王院は水戸駅から南東方向の吉田台地にあり、約二㌔。吉田山神宮寺薬王院といい、大同二年(八〇七)に最澄さいちょう(伝教大師)が創建、常陸三の宮吉田神社の神宮寺と伝える。
 大掾だいじょう氏、江戸氏の保護を受けた後、天正十八(一五九〇)年には、佐竹義宣が水戸城主になり、薬王院は真言宗吉田山佐竹寺一乗院となった。慶長七(一六〇二)年、佐竹氏が秋田へ国替えになり、天台宗に戻った。江戸時代には水戸家の菩提寺として、朱印五十石、徳川光圀の帰依があり、関東八檀林所であった。
 参道は約百五十㍍、そこに県指定文化財の寄棟造茅葺八脚門の仁王門がある。そこから、境内を眺めると、回向堂、二十三夜尊堂、歓喜天堂、四脚門、客殿、書院、庫裏などがみられる。
 本堂(薬師堂)は大永七(一五二七)年に、前の本堂が焼失した直後、享禄二(一五二九)年までかかって建てられたことが、解体修理の際の墨書によって明らかになっている。その後、何度か修理が行われ、貞享五(一六八八)年には南向きから東向きにした。昭和八(一九三三)年には茅葺屋根を寄棟造機瓦葺に改め、県の文化財を経て、昭和四十一(一九六六)年国の重要文化財になり、昭和四十六(一九七一)年に大修理をした。
 なお、光圀の兄の松平亀千代丸(頼房第二子・四歳で没)の墓石、五輪塔が杉の木の下から昭和四十六(一九七一)年に掘り出された。寛文四(一六六四)年十一月四日の銘のある高さ二・四一㍍、墓所は延宝五(一六七八)年、瑞龍山に移されたが墓石は残っていた。(水戸市指定文化財)
 本尊は薬師如来坐像で県指定文化財、杉材、一木造り、彫眼の像で平安時代か室町時代の作で、十二神将像も県指定文化財である。旧六月十一日は薬師様のお田植祭で護摩供養があり終日賑わう。

吽形像
阿形像

         


        
貞享5(1684~88)年建立の八脚門形式の仁王門

 
光圀の兄、亀千代丸の墓石
護国院 (鹿嶋市)(004)    願入寺 (大洗町)(006)