茨城寺社巡礼     004
護国院(鹿嶋市) 巡礼者 今瀬 文也


本尊は本堂から見た山門

城里町小松寺より移築された本堂


  降魔山経音寺護国院(ごうまさんきょうおんじごこくいん)は真言宗智山派の寺で、当初は鹿島神宮の境内にあり、寺伝では、和銅二(七〇九)年、明道上人が開基したとある。また、足利尊氏の信仰を受け、護摩祈祷をしたことから、護摩堂と呼ばれてきたともいう。本尊は五大明王。
 延宝五(一六七七)年、現在地へ移ったが、幕末の水戸藩の争乱で、本尊と一部の宝物を除き、堂宇、伽藍は消失し、明治十二(一八七九)年に再建された。現在の不動堂は方三間、入母屋造り、軒唐破風、銅板ぶきで、東茨城郡城里町小松寺より移築されたものといわれ、天明ごろの建築と推定される。
 この不動堂では護摩もたかれ、オトリコモもあって盛大に信仰されてきた。正月、五月、九月には観音様の縁日がある。節分も不動堂で行われる。
 大師講は旧鹿島郡一帯を回る行事でこれは二百二十年ぐらい前から始められたもので、昔は四月一日から二十日間行われたが、現在は十五日間になっている。このため、各地に七千人の世話人がいた。宿になる家は四年に一度回ってきた。一軒に三百人も泊まり、一晩中、御詠歌や民謡を歌い、過ごしたという。
 大師の厨子を背負う人は途中で交代した。海岸に到着した時は厨子を船にのせ、大漁祈願をした。後になって、ダンプにのせ、交通安全を祈ったこともあった。速鉦講ともいい、参加することによって、身も安全になるとされ、結願には、鹿島神宮を参拝した。
 明治時代にこの講に参加した人たちの、出発の絵馬が奉納されている。大師講は親兄弟を亡くした人たちには、その供養にもなった。この中心になるのが大師堂で境内にあり、大師と地蔵が安置されている。なお本寺は、北関東三十六不動尊霊場の二十九番になっており、毎月二十八日がその縁日である。


 
本堂(不動堂)



 太子堂を囲むようにして建つ石仏

                

太子堂

 
装飾が美しい
愛染院根本寺(003)   薬王院(005)