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![]() 柳澤観音堂 ![]() 観音像は柳の巨木で造られ、素朴というが、見る事が出来なかった |
観音像は柳の巨木で造られた 磐城国では私を歓迎してくれたのでしょうか。どこへ行っても私の名が見えます。今日は磐城三十三観音霊場の第十五番札所の柳澤観音に行きました。そこに由来記があったので、それを中心に進めます。 「柳澤観音は徳一大師の創建という福寿山柳澤寺の御本尊であった十一面観世音であります」 ここでも、私は名前だけ登場します。その後、この観音堂の別当をつとめたのが柳澤寺で時宗の寺だったというのですから、時代はかなり下がります。天正年間(1573~91)に岩城氏の始祖則道が母の菩提を弔うために建てたとも、十六世紀に常願上人が開山したとも言われています。 私は私が歩いたという寺を寺博士と歩いていますが、私の後の事しか分かりません。この観音堂もそうです。 現在の観音堂は享保十三年(1728)に現在地に建立、翌年、観音像も移されたそうです。説明板によると、観音像は柳の巨木で造られ、素朴であるといいますが、見る事が出来ませんでした。 観音堂は方三間の建造物で、茅葺であったが、昭和四十八年に改築が行われた時、瓦葺になったとあります。 私が見たところ、蟇股、頭貫の木鼻、虹梁、蓑束の形状などの細部に、享保の時代がよく表現されています。それに欄間、向拝の彫刻もよく見えました。 ここには、柳澤観世音奉賛会があり、札所の管理や浄財を集めています。三十三観音霊場の永く続くことを願っています。 木の芽たつ 恵みも深き 柳澤 仏の誓い なおも深ざわ 寺博士と歩き始めてから三年、1200年というのは、かなりの時間的隔たりがあります。言い伝えだけは何とか残っていますが、「だろう」という言葉でしか語れないないことが残念でした。
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![]() 蟇股、頭貫の木鼻、虹梁、蓑束の形状などの細部に、 享保の時代がよく表現されている |
![]() 柳澤観世音奉賛会があり、札所の管理や浄財を集めている |
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