![]() (財)茨城県郷土文化振興財団 |
![]() 堂の作観音堂 ![]() 昔は信仰に頼り、一家安全、村中安全を祈り皆が助けあった |
土の中から戻った観音様 「今日も三十三観音霊場を巡りです」と寺博士が見えました。この三十三観音は西国・秩父・坂東のミニ版ですが各地にあります。 寺博士は書物を調べ、いわき三十三観音のことをまとめました。佐渡国の沙弥宗永が関東地方を巡礼し、磐城国へも来たそうです。そして、磐城郡高野に止宿した永正十五年正月十日の夜、杉成観音(坂東観音一番札所・杉本観音?)の霊夢によって、磐城三十三観音が生まれたということです。 今日は石森山の片寄口に来ました。ここには堂の作観音があり二十四番です。私はこの地域を補陀落と名付け、大同元年(806)、に上片寄字作田に開山したといいます。 ここの本尊は聖観音像ですが、山火事によって埋もれたといいます。その観音様のことが「神谷村史」にあります。 この村の百姓の庄左衛門が、ある晩「土の中から早く出してくれ」と言っている観音様の夢を見ました。庄左衛門は唐鍬で観音様を掘り出しました。この時、肩に鍬が当たり、観音像にはその傷跡があるそうです。 庄左衛門は、この観音様を堂の作の大日堂まで運んで来たところ、急に重くなり、「もうこここでよい」と言って、動かなくなりました。 「この話は全国的にあります。この観音様はここが気にいったのでしょう・それと反対に徳一さんは少し歩き過ぎましたね」 寺博士の言うことも当然のようです。 草深く 訪ねきて見よ 堂の作 拝むにつみの 浅くなるらん 境内の大日堂は行屋ともいい、人々が集まり祈りました。境内には「十九夜尊・「文化七年二月十九日女人講中」、「地蔵尊・安政七年三月二十三日女人講中」、馬頭観音石塔があります。「昔は信仰に頼り、一家安全、村中安全を祈り皆が助けあったんですね。それを開いたのが徳一さんです」と寺博士・・。
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![]() 境内には「十九夜尊・「文化七年二月十九日女人講中」、「地蔵尊・安政七年三月二十三日女人講中」 |
![]() 、馬頭観音石塔などもがある |
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