徳一が歩く        高野坂観音堂(90)                               
                                                 (財)茨城県郷土文化振興財団



高野坂観音堂


薬師堂
     火の玉となり復活した観音様
 いわき市平北神谷の第二十六番札所に行きました。寺博士の話によると「磐城北神谷の話し」(高城誠一著)に「徳一大師が紀州三高野になぞらえて、磐城に三高野を設けられた一つ」とあるそうです。
 私のことについては、どこへ行ってもそうなのですが、歴史なき人物なのです。寺博士は「伝説の中で生きているのですから、浪漫があっていいのでは…」といいます。
 確かに、私の歴史的資料、足跡を示す地理的資料もありませんから、歴史家が大切にする文献は皆無です。それに時代が経過すると、伝承も分からなくなります。
 ここでは、高野沢観音と白山神社が向いあっています。観音堂は昔、高野沢の上にありましたが、野火によって堂が焼け、観音様は火の玉となって、今の場所に下りたといいます。それから以後、どうなっていたのでしょう。
 この地は村の鬼門にあたるので、元禄年間(一六八八~一七〇八)、この地に再興されました。その後、堂がいたみ、寛政八年(一七九七)、名主が中心となって造営され、入仏供養の時、名主の甚兵衛は聖観音の御来迎を拝したという伝説があります。
 この二十六番札所の別当寺は、天正十一年(1583)開創の真言宗の大楽山照林寺でしたが、明治四年(1871)無住になり、廃寺になったそうです。
 寺博士は、いわき市の寺院や堂宇で私と関係のある書物が書斎に積まれています。その中で「いわきの寺」(いわきの寺刊行会編)から、私の名を拾っています。
 高野坂 のぼりて拝む 観世音
  てらす林に てふとかりけり
 この御詠歌を唱え、楽しく歩きました。春の桜、秋の紅葉の季節は特に賑わいました。皆、健脚で、札所近くの民家が宿になり、炊き出しもありました。
    
【メモ】
 高野坂観音堂 
 磐城三十三観音霊場第二十六番札所
 本尊 聖観音像
 いわき市平北神谷字前ノ作 一〇二


薬師堂内部


石塔も数多くある


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