徳一が歩く        青瀧観音堂(89)                               
                                                 (財)茨城県郷土文化振興財団




観音堂と諏訪神社の鳥居


観音堂内部

     那智に劣らぬ青瀧は日本一
 「今日はいわき市平絹谷の第二十五番札所の青瀧観音に行きます」
 「今日も寺博士は大変ですよ。山道ですから。山深く 上りて拝む 千手堂 那智のお山に まさる青瀧」が御詠歌です。
 いつも寺博士に千手を取られるので、まず、御詠歌を歌ってみました。私がここへ来たのは大同二年(807)で、石森山を上る途中、大きな堤があり、青堤と呼ばれていました。この堤に流れる瀧を青瀧と呼んでいました。私はここが気に入り、千手観音像を彫って、堂宇を開いたそうです。
 この青堤には昔、青大蛇がおり、人々を悩ますので、金沢の勘太郎が退治し、埋めた塚に桜が生え、その桜を切ると血が出るという伝説があります。私が済度した覚えはありません。済度しておけばよかったと思います。
 別当寺は浄土宗で青瀧寺といい、嘉元二年(1304)良源上人が中興開山したといいます。上には村の鎮守の諏訪神社があります。寺はいつの時代か不明ですが、廃されました。青堤の観音堂は明治三年(1870)に焼失、青瀧寺のあった場所に移りました。本尊の千手観音菩薩像は、実際には時代が後で、私の彫ったものではありませんが、鎌倉時代の様式の残るカヤの鉈彫です。像高四尺五寸、昭和四十三年、いわき市の文化財に指定されています。
 石森山は標高二五〇m、動植物の観察、森林体験が出来る里山です。石森山環境地帯で、コースも十七あります。
 今は三十三観音札所全体を巡るのは、大変なので、車で堂の近くまで行ける所ですませているようです。
 私は1200年前に、どうやって歩いたのでしょうか、道のない山を登る時、村の人々に世話を掛けたのでしょう。今日は、千手観音を拝み、私の生きていた時代を思い出しています。
   
【メモ】
 青瀧観音堂
 磐城三十三観音霊場第二十五番札所
 本尊 千手観音菩薩像
 いわき市平絹谷字諏訪作二〇〇


諏訪神社を参拝するには長い石段を登る


諏訪神社内部


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