徳一が歩く        童堂観音堂(87)                               
                                                 (財)茨城県郷土文化振興財団



地元の人たちの努力により再興された観音堂


観音堂内

   子供たちが砂で仏塔を作っていたので童堂 
 いわき市にある三十三観音霊場は、寺院の境内にあるものと、観音堂として独立しているものがあります。第三番札所は童堂観音とか北郷の童堂といいます。今、このあたりの地名は綴町、内町ですが、昔は北郷といっていました。
 童堂の観音像も私の刻んだものと言われています。それも大同元年(806)といいますから、私は忙しかったですね。この堂は最初、興童寺と言っていたそうです。あるいは寺だったとも思われます。
 名称には伝説があります。一つは「子供たちが砂で仏塔を作っていたので童堂」、もう一つは「多くの神々が集まり、一夜で堂を完成しようとして、残り天井板一枚を張ろうとした時、一番鶏が鳴き、夜が明けてきたので、大笑いして立ち去ったので笑堂」です。
 「徳一さんの眼つぶれ観音の話しと同じですね」と寺博士は、茨城の伝説を思い出しようです。この話はいつ頃の話か私には分かりません。
 伝説の観音堂は昭和四十五年に焼失しました。私の刻んだと言う十一面観音像も焼失しました。この山中からは持ち出せなかったようです。今は新しい十一面観音立像が安置されています。地元の人たちが再興のため、努力しました。
 「わらうどう おいを訪ねて こうどう寺
 わが行く先を 聞くに北郷」が御詠歌です。
 なお、境内には、小ぶりの鐘楼があります。寺博士はつきたかったようですが無理でした。そのほか、灯籠、蹲踞などもあり、整っています。
 磐城三十三観音霊場は山上にある堂が多く,場所を探すのが大変です。それに過去の信仰で、昔のように、全札所を巡るのは大変です。今回は私と関係のある観音堂だけを巡っています。寺博士はかなり無理をして、「徳一さんゆっくり」などと言います。
 
【メモ】
 童堂観音堂
 (旧名・興堂寺)
 本尊 十一面観音立像
 福島県いわき市内郷綴町高野作74


境内には小ぶりの鐘楼がある


巡礼者たちによる奉納札


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