![]() (財)茨城県郷土文化振興財団 |
![]() 本堂は現代風の建物となっている ![]() 本堂内陣 |
那須三十三所観音霊場の五番札所 「徳一さん今日は栃木県の那須へ行ってみます。昔は下野国といいました。徳一さんと関係が深いのです」 「那須ですね。私はどこをどう歩いたのでしょうね」 「温泉がたくさんありますから、今日は入りますよ。徳一さんも御一緒しましょう」 正福寺は那須町の伊王野にあり、補陀落山いう真言宗智山派の寺です。 私がこの地を歩いたのは、弘仁四年(八一三)で、西山の釈迦堂山に開山したと言われています。私の寺の創建は殆ど大同年間(八〇六~八〇九)に集中しているのですが、ここは遅れています。また、承和十一年(八四四)の説もあります。 室町初期にに宥印法印によって真言宗になりました。長享元年(一四八七)館主伊王資清が霞ケ城を築いた際、寺は居館跡に移転し。その後、一時、入会山に移り、旧地に戻りました。明治になって境内に小学校を開校、昭和三年(一九二八)に現在地へ移りました。 真言宗智山派に属し本堂、山門とも現代の建物です。那須町文化財指定として弘法大師影像があり、弘法大師の弟子の真如親王が描いた原型の写しと五大力菩薩画像が、那須町指定文化財になっています。 なお、正福寺は那須三十三所観音霊場の五番札所になっています。一番の大田原市(黒羽町)の明王寺から、三十三番の那珂川町(小川町)の光照寺までです。 私が下野国を布教した時は、天台、真言の高僧も布教しておりました。後世の研究者がいろいろ書いていますが、私は覚えがありません。日光に中禅寺を開いた勝道上人は私と会って、筑波山の中禅寺の名を付けたのではと、言っています。 「現代の人たちの考えも大事にしましょう。言い伝えの中に徳一さんはいるのですから」と寺博士は私の存在を認めていました。
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![]() 境内にはさまざまな草花が植栽され庭園が美しい |
![]() 那須の名木として知られている樹齢200年のサルスベリ |
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