徳一が歩く        大悲山 観音堂 (85)                                  
                                                 (財)茨城県郷土文化振興財団



顔の部分と思われるが崩れてはっきりはしない


大分県臼杵、栃木県大谷、大悲山の磨崖仏(薬師・阿弥陀・観音像)は日本三大磨崖仏
   大悲山の観音菩薩は日本三大磨崖仏のひとつ 
 「今日は薬師堂に続いて観音堂へ行きます。徳一さんの開いたお堂だそうです。今はお堂はありません。磨崖仏ですから、崩れていてはっきりはしないそうです。そして、大分県臼杵、栃木県大谷、大悲山の磨崖仏(薬師・阿弥陀・観音像)を日本三大磨崖仏と言うそうです」と寺博士は話してくれました。
 臼杵石仏は大日如来像に代表され、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたもので、六十余体あり五十九体が、平成七年(1995)、国宝に指定されました。大谷石仏は国史跡指定で、凝灰岩でできた自然の岩窟を利用して掘り出された本尊千手観音菩薩立像のほか、釈迦三尊像など九体があります。
 ところで、大悲山の磨崖仏は観音像を岩窟に彫り込んだもので、十一面千手観音坐像と思われます。現在は殆ど剥落していますが、本来は像の高さ約五・五メートルで台座の高さが二メートルです。両側壁面には毛仏坐像多数が彫られています。これらは二重円光の光背が台座をともなって賢劫千仏とされています。
 観音菩薩は出来事を自在に見通すことが出来ます。アァローキテーシュヴァラを漢訳して、観世音、観自在となりました。観音菩薩の居所は補陀落山です。補陀落は南インドにある山、中国では舟山群島、日本では那智山といわれています。大悲山もそれに因んだのでしょう。
 寺博士と私は、摩滅がはげしく、手とか顔とか考えましたが分からず。カメラ君の写真に頼りました。
 千手観音は無数の手を持ち、世の出来事を救います。十一面観音は、東西南北、東南・東北・西南・西北の八方に上下、それに本尊の顔を合わせ十一面もちすべての方角を救います。元禄三年(一六九〇)奥州中村城主相馬昌胤によって、奥相三十三観音札所の第二十七番になりました。私の去った後、信仰が盛んになったのですね。
 
【メモ】
 大悲山の観音堂石仏
 大悲山慈徳寺
 真言宗豊山派
 南相馬市小高区泉沢字薬師前二〇六
 電話 0244(44)4848


摩滅を防ごうと大きなビニールシートに覆われている


緩やかな参道を登ると大悲山の観音堂石仏がある



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