![]() (財)茨城県郷土文化振興財団 |
![]() 薬師堂石仏は間口約十五mの岩窟に浮彫で表現されている ![]() 参拝者が上げた幟がある |
平安時代に造仏された磨崖仏 私の出目ははっきりしないようです。私は一二〇〇年前に、東国に下ったのは本当なのでしょうか。寺博士は夢見ているようですといいます。 東日本大震災は福島原発事故によって、寺院も被害を受けました。南相馬市小高区泉沢の薬師堂に向う道筋は空家が目立っていました。広い駐車場は一台の車も有りません。 「今日は平安時代に造仏された磨崖仏に行きます。徳一さんが開いた所ですよ」 石段を上ると、昭和三十七年県指定の天然記念物「大悲山大杉」が迎えてくれました。目通り八・四m、高さ四十五m、樹齢千年といいます。 薬師堂石仏は間口約十五mの岩窟に浮彫で表現された四体の如来坐像と、二体の菩薩坐像、線彫の二体の菩薩坐像と飛天が見られます。光背は後壁に薄肉彫りと線彫りで表しています。高さは二~三mで、彩色は黄土・丹彩が一部残っています。光背にも金箔、その他に群青が見られたといいます。各像とも、顔面が欠損し、両手も同様で印相なども不明で仏像の名は限定出来ません。 私が刻んだと言われていますが、実際には、平安後期の作とみられています。 磨崖仏の彫られた岩質は第三紀砂岩で、ところにより岩質が異なっており、それが欠損の要因と言われています。 薬師堂からの仏像拝観はガラス越しになっています。参拝者が上げた幟があります。 「祈身体堅固 奉納大悲山薬師如来」 「祈家内安全 身体堅固 交通安全 大悲山薬師如来」 それに折り鶴がたくさん奉納され、病気平癒を祈っています。 「徳一さんもおそらく訪れたのでしょうが、石仏を彫ったかどうかは、分かりません、一二〇〇年前の徳一さんは、偉大なお坊さんだったのですね」
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![]() 薬師堂 |
![]() 県指定の天然記念物「大悲山大杉」 |
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