![]() (財)茨城県郷土文化振興財団 |
![]() 災前に移された像嵩四十九センチの十一面観音像が安置されている ![]() |
堂宇はなく観音像は浄土宗の増福寺に移される 「小さな独立したお堂を探すのは至難な業ではありません」と寺博士は疲れているようです。とくに、観音霊場の一部は参拝されていますが。山の中や急な石段を上る所は敬遠されています。 東日本大震災は寺院にも大きな被害を与え崩壊したものもあります。磐城三十三所観音霊場第二十番札所瀧澤観音を訪れましたが、堂宇がなく、観音像は浄土宗の増福寺に移されていました。 住職さんにお会い出来ましたが、子供の頃、先住と一緒に札所の一部を巡った記憶はあるそうです。増福寺自体は私と関係はありません。 瀧澤観音は、真言宗の瀧澤山大龍寺を別当とする観音堂の本尊でしたが、明治初年の排仏毀釈で整理され、観音堂だけが残りました。 この大龍寺は、大同二年(八〇六)に、私の刻んだ十一面観音像を安置して創建したそうです。私の建てた寺は山上が多いので、その遺跡を訪ねる寺博士は大変です。かつての観音像は閣浮檀金の尊像で、観音堂付近の石中より自然に湧き出たという伝承があります。 現在、増福寺の位牌堂には、震災前に移された像嵩四十九センチの十一面観音像が安置されています。この光背には「寛政七年(1795)瀧澤山大瀧寺法印智恩代」とあります。このことから瀧澤観音の像が二体あったことになります。 住職さんは、「現在の寺は浄土宗なので、護摩は焚かないので御札を出していません。今、管理寺として、山から崩壊した観音堂の材料の一部を使い、境内に移して再建することになっています」と話してくれました。 茨城、福島を歩いた私のことを、皆が顕彰していることは大変嬉しいことです。この龍峰山増上院増福寺に守られながら、瀧澤観音は信仰されます。
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![]() 福巡礼者のお札が奉納されている |
![]() 増福寺に守られながら、瀧澤観音は信仰される |
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