徳一が歩く   富沢観音堂(磐城三十三所観音霊場 第八番札所)(78)                                  
                                                 (財)茨城県郷土文化振興財団



参道の石段は幅も狭く急勾配で


彫刻が素晴らしい観音堂
  ここを霊地として、村人の協力で観音像を安置?
 いわき市に三十三観音札所があり、そのうち、私と関係ある堂宇は二十一か堂です。既存の寺の境内に移された堂宇や、山中に独立して立っている堂宇など様々です。
 富沢観音は、参道の石段の幅が狭く、それに落ち葉で、さすがの寺博士も首をひねりました。私はカメラ君と参道を登りました。
 登り口には、大日山・庚申・大黒天・湯殿山・十九夜の文字碑が見られました。私が去った後、富沢山無量院長楽寺という真言宗の寺が別当だったといいます。そして、千手観音像を安置したそうです。
 私が観音像を安置したことに否定論もあるそうです。とにかく一二〇〇前のこと、私には分かりません。
 観音堂へ登るのは、健脚自慢の私も大変疲れました。私はここを霊地として探しあて、村の人の協力で観音像を安置したのでしょう。
 観音堂は明治初年の排仏毀釈を免れ、村の人たちが保存してきました。高い所にある観音様に祈ることによって、一家安全・子育てなど幸福を願ったのでしょう。
 昔は、三十三観音を巡ることは、信仰と観光を兼ねたものでした。御朱印帳に参拝の印を記帳してもらい納経することに喜びを感じたのです。
 「たづねきて ともしきことは なけれども 施さんとは 富沢の寺」
 これが、富沢観音の御詠歌で、寺博士は堂に上れなかったので、御詠歌を唱えて、自分を慰めていました。
 現在の観音堂は、最初の建立は不明、延宝八年(1680)、享保十三年(1728)、寛保三年(一七四三)に再建しています。
 彫刻が素晴らしい観音堂です。御本尊の聖観音を拝むことは出来ませんでしたが、格天井には、花鳥風月の絵が遺されていて、カメラ君が撮影しました。寺博士はそれを見て満足のようでした。
 
【メモ】
 富沢観音堂
 磐城三十三所観音霊場 第八番札所
 いわき市川部町富沢十三
 本尊 聖観音菩薩像
 所有者 富沢区長
 監理者 曹洞宗 通岩山 浄圓寺
 連絡先 いわき市川部町寺前九七
 電話  0246(65)2864


格天井には、花鳥風月の絵が遺されていている

登り口には、大日山・庚申・大黒天・湯殿山・十九夜の文字碑が見られる



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