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![]() こんもりとした樹林の中に佇む菖蒲沢薬師堂 ![]() 本尊の薬師如来坐像 |
筑波四面薬師のひとつ菖蒲沢の薬師如来像 石岡市の菖蒲沢に来ました。ここに薬師堂があります。寺博士が博物館に勤務していた三十年前に調査して展示のため、山道を手作業で運んだそうです。この薬師如来には伝説があり、寺博士がその話をしました。 昔むかし、鹿島郡大洋村(現・鉾田市)の汲上浜の漁師の網に三十センチほどの薬師如来像がかかりました。そして「自分はインドの国から、世の中の人々の病気を無くしに来ました。高い山に連れて行ってください」と言ったので、漁師は、薬師像を背負って筑波山めがけて出発しました。そして、途中の菖蒲沢まで来ると、ここが よかろうというので、土地の人々の力をかりて、菖蒲沢に薬師堂を建てました。 この薬師堂は大同年間(806~809)に私が建立したといいます。この薬師に加えて小幡の山寺薬師、新治の東城寺薬師、真壁の椎尾薬師を筑波四面の薬師とよんでいます。 この薬師堂は正保三年(1646)火災にあい、元禄九年(1696)に再建、天保十年(1839)に山火事で類焼、山門・鐘楼・古文書を焼失しましたが、薬師如来坐像と仁王像は村人によって救われ、天保十三年(1842)に再建されました。平成七年(1995)九月から翌年十二月にかけて修理しました。 薬師如来坐像は像高八十センチ、漆塗金箔仕上げで平成二十年の修理の際、「貞享四年(1687)東光寺二十九代目別当寛泉」の墨書銘が出てきました。ほかに、脇侍像と十二神将の一部があります。仁王像は像高二・一メートル、これらの像は石岡市の文化財に指定されています。 菖蒲沢古道は石岡市のボランティアによって整備さています。それでも道は狭く、菖蒲沢公民館から歩き、上りは厳しいので、寺博士は大変でした。それでも今までに二度来ているそうです。
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![]() 「法相宗徳一法師御小屋跡」の立て札 |
![]() 菖蒲沢公民観から歩き道は狭く上りは厳しいので寺博士は大変 |
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