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![]() 宝林寺の裏山にある観音堂 ![]() 本尊は聖観音立像 |
この地は熊野山信仰の聖地 「前に一度行きましたが、観音堂へ私は行かなかったので、もう一度、いわき市の小久へ行きます」と寺博士に誘われ、宝林寺の裏山にある観音堂を訪れました。 寺博士は180段の石段を上がりました。かなり、疲れたようでした。この地は熊野山信仰の聖地でした。 今でも、熊野神社と観音堂が並んでいます。熊野三社は、和歌山県熊野にあり、本宮は熊野坐(くまのにます)神社、新宮を熊野速玉神社、そして、熊野那智神社です。熊野三社は、平安時代になって、仏教修行の道場として、山籠もりの修行をしました。 本地垂迹からみると、本宮は阿弥陀如来、新宮は薬師如来、那智は十一面観音・千手観音を本地として、現当二世の利益を掌る大権現として力がありました。私が熊野を信仰したかどうかは分かりませんが、神仏混淆の時代は明治初年の廃仏毀釈まで続きました。 私が小久観音を開基したのは大同二年(806)と言われています。本尊は聖観音立像です。この日、幸いに観音像を拝することが出来ました。別当の宝林寺は現在、臨済宗妙心寺派で、熊野山と言います。 熊野神社の別当もかつては宝林寺で、熊野神社と観音堂が一緒になっていました。 明治初年の神仏分離で、一時、観音像は宝林寺に移されたそうですが、信者の希望によって、現在の場所に移されましたが、昭和三十八年(1963)の火災で焼失しました。その後、昭和五十年(1975)に現在の観音堂が再建されました。 観音堂の石段を下りるのも寺博士は大変な様子でした。庫裡で住職さんに挨拶すると、「それは、それは、お疲れ様でした。お茶を一杯さしあげます」と、お茶をついてくれました。それに、「最近は高齢者が多くなったので上まで道路を作って、車で上れるようにしました」と話が続きました。今日の寺博士は本当に御苦労様でした。
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![]() 180段の石段の後にまた石段がある |
![]() 観音堂の石段を下りるのも寺博士 |
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