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![]() 安達三十三観音霊場第十五番札所 ![]() 山門は薬居門で切妻、銅瓦葺 |
大日如来を本尊とする山岳信仰の道場だった 大同二年(807)私は安達太良山を歩いていたそうです。そして、安達太良寺を建てたと言われています。今回も例の通り、寺博士と一緒です。紅葉・黄葉のまっただ中で、満足しました。 ここは二本松市です。人口五万六千三百七十三人で、市の木は桜、市の花は菊、市の鳥は鶯で、産業では酒造業が盛んです。安達太良山が聳え、阿武隈川が流れ、二本松城が建ち、景観の素晴らしさに寺博士は満足していました。 その後、町の中を歩き、訪れた寺は円東寺で、真言宗です。私の建てた安達太良寺の北院で光明院と言って、安達太良山の中腹の猿鼻にあり、大日如来を本尊とする山岳信仰の道場だったそうです。 慶長三年(1597)に、奥州街道の二本柳宿が整備され、宿場町の枡形にあたる現在地に移って来たそうです。 住職さんにお会いしましたが、私のことは、一二〇〇年も前のことで、何の書付もありませんとのことでした。 「自由にどうぞ」というので、境内を歩きました。本堂の前に推定400年というシダレザクラがあります。現在、市の天然記念物、県の緑の文化財に指定されています。「今度はサクラの季節に来ましょう」と寺博士が言いました。 建物を見てみました。山門は薬居門で切妻、銅瓦葺です。ここから参道で、正面に寄棟造、桟瓦葺、桁行七間の本堂があります。 その脇に安達三十三観音霊場第十五番札所があり、四月には多くの人たちが三十三観音札所巡りをします。ここには十一面観音像が安置されています。 「福島はどこへ行っても、三十三観音札所があります。信仰の厚い所です。これも、徳一さんが基礎を築いたからです」と寺博士が私を誉めていました。
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![]() 本堂の前に推定400年というシダレザクラがある |
![]() 境内を歩きました |
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