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![]() 急な石段を上がり本堂へ境内には大きなイチョウがある ![]() 雨に煙る本堂 |
何度も火災にあい言い伝えだけが残る 「いわき市にどうして私の寺が多いのが不思議です。それに法相宗の話がないこともです」 「徳一さんの徳を慕って、皆が徳一さんの名をつけることを名誉に思ったのでしょう」と寺博士はいいます。 今日訪れた山田町の中海山最勝院は最初、下の河原の近くにあったようです。私は大同年間(八〇七―八〇九)そこに寺を建てたと言われています。縁起では、正徳四年(一七一四)に十五世の宥秀が中興を計画し、十六世の宥善が再興し、現在の場所に移ったとあります。ここへ移ったのは洪水によって寺が崩壊したためといいます。 現在、遠野町の円通寺が管理しています。この寺も私の開山した寺で紹介済です。現在の本堂は瓦葺でそう古くはありません。寺でもいつの建立か不明のようです。それでも本堂の欄間には古堂にあった竜の彫刻が残されています。 本尊は不動明王立像で、像高は六十六センチです。不動とは、山のように動かない者の意味です。脇侍として矜羯羅童子、制多迦童子が安置されています。 ほかに増高六十五センチの阿弥陀如来立像があります。一木造りで「奥州菊田郡山田村別当吉祥院」の銘があります。廃寺になった寺にあったものと思われます。 なお、梵鐘には「文政八年下山田村中海山最勝院・下湯長谷村鋳造長左衛門」と刻まれています。私の創建といいますが、現在は真言宗智山派の寺です。 「寺は何度も火災にあい、古文書などがないので言い伝えによるものが多いです。徳一さんが、ここへ来たという証拠はないです」 「そうですね。それにしても、私の名がこんなに多く残っていることは嬉しいです。仏像も新しいので、私と関係はなそうです」
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![]() 石段の左右にある石仏 |
![]() 風車が供えられた石仏 |
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