徳一が歩く   東城寺(72)                                    (財)茨城県郷土文化振興財団


平成9年4月10日の火災で本堂など焼失。平成16年、本堂、薬師如来を再建


二間四方の祖師堂
     筑波四面薬師の一つとされる
 私は筑波山中禅寺の周辺に四面薬師如来を安置したといいます。東城寺と旧八郷町(現石岡市)の菖蒲沢薬師堂は現存しますが、十三塚の薬師は廃寺になり、石岡市小幡の薬王院に移されたようです。あと一つは前に紹介した椎尾の薬王院と言われています。
 今日は土浦市(旧新治村)の朝望山東城寺に来ました。仁王門をくぐり、古い石段の道を上ります。現代人にとっては酷しいでしょう。寺博士は大分遅れました。境内に着くと鐘楼があります。この寺そのものは、延暦15年(796)に桓武天皇の勅願で、天台宗の最澄が弟子の最仙に創建させました。
 ここを筑波山四薬師に私が選んだので来ているかも知れません。一説ではこの近くに薬師堂を建てたのではないかとも言われています。長い間に一緒になった可能性もあるでしょう。その後のことは余り分かりません。
 鎌倉時代には小田氏の支配になり、真言宗に改宗、豊臣秀吉の小田原の役に協力しなかったので、領地を没収されました。江戸時代になって、土浦藩主土屋氏の帰依があり、寺号を東成寺から、現在の東城寺にし、幕府から寺領16石を受けていました。
 ところが、平成9年4月10日の火災で本堂、薬師如来像と脇侍の日光・月光両菩薩を焼失しました。平成16年、本堂、薬師如来を再建しました。幸い、鎌倉時代後期の作で県文化財指定の広智上人像は残りました。両眼を見開いた老僧の姿で五鈷杵を持ち、現在、二間四方の祖師堂に安置されています。
 県指定文化財の雲母片岩材の結界石があります。碑面中央に「大結界外相」右側に「建長五年癸丑(1253)とあったそうですが、今は風化して文字は読めません。
 戻りは楽な自動車を下りました。私の名はどこにもありませんが、創立年代からして、訪れて、最仙さんにお会いしたのでしょう。 



【メモ】
 朝望山東城寺
 真言宗
 本尊 薬師如来坐像
 土浦市東城寺650
 電話 029-862-3013




二間四方の祖師堂


鎌倉時代後期の作で県文化財指定の広智上人像






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