徳一が歩く   東光寺(71)                                    (財)茨城県郷土文化振興財団


銀杏の寺といわれている


本尊は像高三十センチの釈迦牟尼仏坐像
   「銀杏の寺」徳一この地に一宇を建立す
 「今日もいわき市を歩きます。曹洞宗の寺で東光寺といいます」
 寺博士の話を聞き、曹洞宗について調べました。道元(一二〇〇~五三)は入宋し天童如浄(一一六二~一二二七)に師事し、帰国後、永平寺に籠って、曹洞宗を開き、道元から四世の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の布教によって教団が強大化しました。
 寺伝には「大同年間、奈良興福寺の僧徳一この地に一宇を建立す」とありますから、私と関係深いのですね。
 その後大永元年(一五二一)になって、上遠寺第三世揚室宗播が曹洞宗として開山したといいます。醫王山の扁額のある本堂は明治三十八年(一九〇五)に建立されたものです。
 本尊は像高三十センチの釈迦牟尼仏坐像で普賢・文殊の両菩薩坐像を脇侍とした釈迦三尊像です。本尊の他に像高九十五センチの銅像聖観音坐像、阿弥陀三尊像、大黒像、達磨像などを安置しています。        
 寺宝として隠元禅師真筆といわれる九行書一幅があります。隠元(一五九二~一六七三)は多くの弟子と工人を連れて承応三年(一六五四)に来日、江戸幕府に歓迎され、宇治に寺地を授かり万福寺を建て、黄檗宗の祖となりました。その書は諸大名に珍重されました。
 「阿弥陀三尊と三十三観音曼荼羅」は、下野佐野の織師の寄進した絹織の掛物で、文化二年(一八〇五)とあります。
 私の事を示すものは何もなく残念ですが、古くから皆の信仰を受けていることに安堵しました。訪れた時は銀杏の大木に目が止まりました。「黄葉の頃は素晴らしいでしょうね」と会った人に尋ねると「銀杏の寺といいますから」と答えてくれました。
 境内には六地蔵や羅漢の石造物がありました。また墓地には、この地が江戸時代末期に、天領であったので、代官の墓地もあります。
寺の横道には馬頭観音が数基見えました。
【メモ】
 醫王山 東光寺
 曹洞宗
 本尊 釈迦牟尼仏
 いわき市遠野町上遠野堀切一六八
 電話 0246-89-3210


石仏像


本堂には七福神もある





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