徳一が歩く   大楽寺(70)                                    (財)茨城県郷土文化振興財団


汁宝山の扁額のある山門


本堂は客殿、庫裡も一緒
    宮殿、護摩壇などを含めて、二年かけて修復
 いわき市を歩いている時、木曽の御嶽山の噴火の事を知りました。今はテレビがあってすぐに事故を知ることが出来ます。私は磐梯山の噴火を聞いて、大同二年(八〇七)に磐梯に入り、仏教によって人々を救済しました。
 いわき市菅波字波入の什寶山地蔵院大楽寺に来ました。真言宗智山派ですが無住で宗教法人の登録はありません。とにかく、寺博士と寺を回りました。
 境内に「大楽寺仏像修復之記」の記念碑があり、大同年間(八〇六~八〇九)に私が開基したと書かれています。この碑は平成十四年六月の創建です。
 汁宝山の扁額のある山門を入ると、本堂があり客殿、庫裡も一緒のようです。本草は延命地蔵菩薩坐像ですが、阿弥陀如来像、弘法大師像、興行大師像などがあります。これらの仏像が廃仏毀釈の際、破壊されたと、修理の碑にあります。檀家ではこれらの仏像はもちろん、宮殿、護摩壇などを含めて、二年かけて修復、復元したとあります。
 境内に観音石仏像があり。十九夜様といいます。この像は堂の中にあり、十九夜講 再建日 平成九年七月二日 真言宗智山派 汁寶山 地蔵院 大楽寺 総代長、総代、会計
大工の名が書いた堂再建の記念板があります。
 なお、本堂には江戸時代に使用された駕籠が天井から吊るされています。駕籠に乗って住職は檀家回りをしたのでしょう。欄間には切り抜きの菊模様の彫物がありました。
 私がいわき市を歩いたのは大同二年(八〇二年)で、延暦二十五年五月十八日、大同に改元されています。そして大同五年(八〇九)九月十九日、弘仁元年になっています。私の活躍は大同年間といいます。そうすると極めて短い期間になります。
 いわき市で私は多くの人と接したのでしょうが、記録が何もなく、伝承されてきたことだけが頼りです。
 
【メモ】
 汁寶山 地蔵院 大楽寺
 真言宗智山派
 本尊 地蔵菩薩坐像
 いわき市平菅波字菅波入二三
 電話 三四―二二七六
 兼務 宝蔵寺
 


観音石仏像




江戸時代に使用された駕籠




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