徳一が歩く   徳一 入定の地(68)                                    (財)茨城県郷土文化振興財団


堂宇は2間四方


像高四十センチの徳一坐像
      2間四方の堂宇の中に徳一坐像
 今日は、いわき市遠野町入遠野の私の入定した所を訪問し、緊張しました。小高い丘の上に私を祀った小堂があり、私の像が安置されていました。また、自然石に「徳一大師御入定所」と書かれた墓碑がありました。
 麓には共同墓地があり、秋の彼岸の前日ということで、多くの人が墓の清掃に来ていました。稲刈りはこれからで稲穂に秋を感じました。畔には彼岸花が満開で、仏様の来訪を待っているようです。
 私の墓の周囲も彼岸花で飾られていました。堂宇は2間四方で、中に私の像がありました。像高四十センチの坐像ですが、燻蒸しなかったこともあって、腐敗しています。
 私は徳一ですが、寺博士は「いわきに、お坊さんが見えると、誰もが徳一さんと思ったのでしょう」と、言いました。
 「それで、私がたくさんの寺を建てたことなのですね」
 「弘法さんも同じようです」
 いわき市を歩いていて面積の広いのには驚きました。最初に平町と平窪村が合併し平市になり、後に飯野村・神谷村、その後、豊間町・夏井村・高久村・草野村・赤井村の一部を編入しました。昭和四十一年(一九六六)十月、内郷市・常磐市・磐城市・四倉町・小川町・好間村・三和村が合併しました。
 この地域に私と関係のある寺院が二十数か寺、磐城三十三観音のうち十七堂、私ゆかりの観音信仰になっています。中には石段を登るのに寺博士が苦心した堂宇もありました。
 寺博士は地元の人に徳一さんを御存知ですかと聞いていましたが、一二〇〇年前のことなので、無理な質問のようでした。
 ここの地名が入定ということから、私がここで悟りの境地に入り、亡くなったことになります。皆さんが今でも私を慕ってこの小堂を守っていることに感謝して、皆の幸福を祈りながら合掌しました。

 
【メモ】
徳一入定の地
 福島県いわき市遠野町大字入遠野字久保目
 



堂宇の周りにはたくさんの彼岸花


自然石に「徳一大師御入定所」と書かれた墓碑



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