徳一が歩く   観音寺(67)                                    (財)茨城県郷土文化振興財団


本堂

本堂内陣
      不動明王像と毘沙門天像を彫刻
 「徳一さんが生まれる前に建てられた寺へ行きますよ」と寺博士に案内されたのが筑西市中館の観音寺でした。
 寺の縁起では、用明天皇の御代(585~587)に梁国から来日した法輪独守居士が伊佐中村に延命観音を安置したのが始まりといいます。
 寺の縁起では大同元年(八〇六)、筑波にいた私が観音寺に来て、延命観音を拝し、不動明王像と毘沙門天像を彫刻し、本壇の左右に安置したとあります。しかし、。これ以外の私について何も分かりません。
 延喜元年(九〇一)藤原高房は、常陸国伊佐荘に流され、観音寺に帰依したといいます。時が流れて文治五年(一一八九)、源頼朝の奥州征討のおり、領主伊達朝宗が武運長久を祈り、伊達家の菩提寺になりました。建武三年(一三三六)、伊達行朝は本堂・仁王門・経蔵・鐘楼・五重塔と学頭観音寺を新造し、比叡山から実相坊心海を迎えています。伊達家は奥州へ移ってからも、江戸時代まで寄進を続けてといいます。
 後継の水谷家の信仰も厚く、堂宇の再建に尽力しましたが、正保二年(一六四五)、慶安四年(一六五一)の大火で堂宇は焼失、観音堂・仁王門は復元しました。
 本尊の延命観世音菩薩立像は大正十一年に国宝、現在は国指定重要文化財です。鎌倉時代の作で、像高一〇二・二センチの特異な形式を整えた立臂の像です。貞治二年(一三六三)、享保五年(一七一六)の修理した墨書銘があります。幕府から四十石の朱印を受けました。
 寺宝として、三十三観音織画が六段に織出されています。県の文化財として指定されている螺鈿硯箱は江戸中期の作で箱の四面に四季の風物が描かれています。
 私は過去から来た一僧侶で何も分からず、寺博士に手をひかれて歩いています。
 
【メモ】
 施無畏山延命院観音寺
 天台宗本尊 観世音菩薩
 〒308-0005 茨城県筑西市中館456‐2
 電話 0296(22)2702
 祈願 病気平癒・安産・子育て
 県指定史跡 伊佐城址



彫刻群が素晴らしい


下館観音菩薩像
昭和60年「茨城の名宝」展示図録から(茨城歴史館)



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