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![]() 禅宗様式の本堂 ![]() 「第一義」の扁額がある総門、ケヤキ材の四脚門 |
磐梯山噴火の年 会津に来た僧 喜多方市を歩いています。「今日こそは熱塩(あつしお)温泉に入りましょう」と寺博士は、笑顔で私に話しました。現在曹洞宗の寺ですが、山門の前に「湯殿山」の大きな石碑があるので、不思議に思いました。 「徳一さんとの関係は不明ですが、弘法さんが磐梯山の噴火の大同2年(807)、勅命で会津に来た時、建立したといいます」 「そうですか、私と同じ時ですね」 「最近ではこの意見が否定され、法相宗の徳一さんの開基と訂正されたようです」 「1200年前のこと、実証は難しいでしょう。私の名前が出て光栄です」 会津徳一大師五大寺巡りの一つになっています。 示現寺はかつて、五峯山慈眼寺といって、真言宗の寺でしたが、鎌倉末期に衰退していました。永和元年(1375)、会津領主蘆名詮盛(あしなあきもり)の帰依により、源翁を迎えて曹洞宗になり、寺名も護法山示現寺となったそうです。 寺博士の話によると、源翁さんは那須の殺生石(せっしょうせき)で有名で、茨城県の安穏寺(稲敷市)も開いたそうです。熱塩温泉の湯脈発見の説があります。訪ねた日は小学生の林間学校があったようで皆楽しそうでした。 この日は、生憎、住職さんにお会い出来ず、寺博士が地元の方の話や参考文献を見ていました。総門の扁額には「第一義」とあり、鐘楼があり、その前の禅宗様式の本堂は素晴らしい建築です。 本尊は虚空蔵菩薩坐像です。庫裡(くり)の奥には歴代住職の木像を祀った開山堂がありました。国の重要文化財になっている椿彫木彩漆笈(つばきちょうぼくさいしつおい)があり、会津工人の作と言います。 山門から左に会津三十三観音巡りの千手観音堂があり、その右側に加波山事件に参加し刑死した自由民権運動家2名の墓があります。また、その近くに明治初期、社会福祉事業に活躍した瓜生イワの銅像もあり、境内は整備されていました。寺博士は今回も温泉見送りでした。
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![]() 二階建ての鐘楼 |
![]() 会津三十三観音巡りの千手観音堂。左側には赤い鳥居が並んだ稲荷神社、その右側に熊野神社が鎮座している |
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