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![]() 急坂と石段を上がりきってやっと薬師堂に着く ![]() 電気など来ておらず北山薬師の内陣は昼も暗い |
石段も欠ける急勾配「峯の薬師」 会津五薬師のうち三薬師は、前に訪れ、すでに紹介しました。これらの薬師については私の開基と言われています。今回は北方薬師の北山薬師を訪れました。 薬師如来はバイシャジャグルの訳で、病気を除き、人を浄土に導く十二の誓願を立てて東方の浄瑠璃世界に位置します。日光・月光二菩薩の脇侍と十二神将の眷属(けんぞく)が一緒です。薬師如来は飛鳥時代から盛んに信仰されています。天台密教系では、息災・安産を祈願し七仏薬師修法を行っています。ここでは五薬師です。 「峯の薬師」ともいう北山薬師の訪問は大変でした。「200の石段は無理なので、健脚の徳一さんとカメラさんとでお願いします」と寺博士が言うので、私はうなずきました。 杉木立に周囲を覆われた参道は苔蒸していて、数十段上ると後は石段すらありません。一雨来ると滑落しそうな粘土質の坂道が急勾配で続き、息があがります。 登り切った薬師堂の前に五輪塔が一対あり、薬師堂は方4間。「薬師」の扁額や絵馬が奉納されています。薬師如来像は像高66㌢の立像です。大きな岩屋(奥の院)があり注連も張ってありました。 登り口には北山六観音の石仏が建立されています。その前には縁起があります。「弘仁年中(810~823)弘法大師が当地鎮護のため護摩を修し、薬師像を刻み、安置した」とあります。しかし、弘法さんより、私の創建説が強いようです。 慶長年代(1596~)には、藩主蒲生秀行の嫡子亀千代丸が病弱なので、2歳の時、当薬師の子育て霊石に触れさせ、薬師に参拝、その霊験で、険しい坂道を自分で下山したと言います。それが「二つ児参り」の起源だそうです。 別当寺は「里薬師」の大正寺で、真言宗から慶長5年(1600)、僧常海によって天台宗になっています。境内のイチョウは樹高33㍍、弘仁4年(813)に植えたと言います。
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![]() 奥の院になっている岩屋 |
![]() 北山六観音の石仏 |
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