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![]() 屋根が重層で「二階堂」とよばれる地蔵堂 ![]() 地蔵堂の内陣には参拝者奉納の品々も |
二階建てに見える「藤倉二階堂」 会津若松の真言宗伽羅陀山地蔵院延命寺に来ました。大同2年(807)に慧日寺の塔頭寺(たっちゅうじ)として私が建立したと縁起にあります。 1200年も前のことなので、資料はありませんし、代々伝承されたことが、史実のようになっています。 「徳一さんの開基ということで、多くの信仰を受けたのでしょう」と寺博士は言っていますが、寺歴に私が何をしたかは書いてありません。 私の後、法相宗がどうなったか分かりません。この実態がないのが寂しいです。本尊は大日如来像です。大日如来は密教の主尊で、宇宙の根本仏とされます。延久元年(1069)に承恵が中興したと言います。 天文年間(1532~54)に賢長が本堂を修理しましたが、寛文年間(1661~72)に焼失し、その後、再建されました。しかし、戊辰(ぼしん)戦争が勃発、新政府に村ごと焼き払われ、本堂、庫裡、客殿も失いました。この時、檀家などの献身的活動で、本尊、数体の仏像、過去帳は焼失を免れました。 境内に延命寺地蔵堂があります。明治36年(1903)年、「古社寺保存法」により国宝に指定、「文化財法」制定によって、国指定重要文化財に変更されました。最初は茅葺屋根でしたが、大正2年(1913)の解体修理の際、本瓦に葺き替えられました。 地蔵堂は桁行3間、梁間3間、一重裳階(もこし)付き、寄棟造りの禅宗様建築です。二階建てに見えるので「藤倉二階堂」と言われています。 住職さんにお会いして内陣、外陣を見せていただきました。博士は「室町時代の匂いがしますと」と感動していました。境内が広く、落ち着いた環境です。 地蔵堂の裏に回ると大きな六地蔵があります。これは六道の守護尊として6体をまつることが多く、地獄の救済者、子供の守護尊で、菩薩としては例外的に僧形です。
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![]() 地蔵堂裏手には大きな六地蔵控える |
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