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![]() 山門と本堂 ![]() 本堂に掛かる三十六歌仙の扁額 |
坐像に宝塔 大切にされている 福島県本宮市の天台宗高松山観音寺を訪れました。矢島義謙住職とお話しました。私のことを大切にしています。寺は40年前まで大変荒れていたそうで、矢島住職が赴任、寺の大改修に取り組み、今は立派な寺になっています。 縁起では大同2年(807)山中で見つけた霊木で、私が薬師如来、十二神将、釈迦如来、地蔵菩薩を刻み、寺を創建したとあります。そして山上には月山・湯殿山・羽黒の三大権現を祀り、古松があったので高松山と命名し、後に龍が現れ暗闇を明るくしたので、常光明山となりました。 前九年の役(1051)には、源義家が戦勝祈願したといいます。治承年間(1177~1180)には文覚上人が永く滞在、背負ってきた不動明王(汗かき不動)を当山に安置して寺を再興したといいます。 この時代は寺の勢力も強く、学頭をはじめ12の坊舎や三重塔など七堂伽藍も揃っていて、数百人の学僧もいたといいます。山の中には九十九谷があって、奥の高野山とも呼ばれました。天正13年(1585)伊達政宗の兵火によって堂塔と古記録も焼失しました。 本堂は天保5年(1834)の再建、本尊阿弥陀如来、観音・勢至の脇侍、秘仏の高松山権現の大日如来、不動明王、馬頭観音が安置されています。私の坐像は左室にあり、明治時代の作のようです。また、三十六歌仙の扁額もあります。本堂裏山には、弘安6年(1283)頃に制作された私の宝塔と文覚上人の供養碑があります。 薬師堂は文禄4年(1595)の建立で、私の作といわれる薬師如来、十二神将、毘沙門天が安置されています。そのほか、聖観音堂、大悲園(子安観音)、弁財天洞穴、昭和38年(1963)復元の鐘楼があります。なお、仏像に因んで、安達三十三観音札所31番になっています。
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![]() 薬師堂 |
![]() ![]() 徳一坐像と文覚上人の供養碑 |
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