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![]() 観音堂。鬱蒼とした杉木立の中に伽藍が広がる ![]() 1985年から奉安始まった昭和羅漢。500体はありそうだ |
会えるなら田村麻呂より小町 「今日は小野という美人の誕生した所へ行きます」と寺博士に誘われ胸が高鳴りました。実際には私の開いたという標高659㍍の東堂山にある浄土宗満福寺の訪問です。 私は、大同2年(807)にここへ来たようです。そして、奥州の乱を鎮めた征夷大将軍坂上田村麻呂(758~811?)が開基者で、私は開山にあたったと縁起にみられます。現在の本尊は阿弥陀如来です。 本坊の近くまで車が入れました。住職さんなど留守なので寺内を歩きました。まず仁王門です。ここに草鞋の奉納はありませんでした。宝暦6年(1758)の建立で左右に金剛力士像が安置されています。その前に灯籠が一対あります。「文政十二年三月十七日奉納・二本松東安達郡鈴石村鈴木源兵衛」とありました。 ここからの登りが寺博士には大変でしたが、いたる所に昭和60年(1985)町制30年を記念して建てはじめた昭和羅漢に関心も持ち、盛んに写真を撮っていました。 観音堂は傷みが見られます。坂上田村麻呂が観音像に戦勝を感謝し、軍馬供養のために堂宇を建てたと言われています。そして私がかやの一木で聖観音、将軍地蔵、毘沙門天、不動明王を刻んだといいます。しかし、その時代の仏像はありません。なお、毘沙門堂は寛政8年(1796)の建立です。 かつて、この地域は馬産の地で、馬はもちろん出産、子育ての信仰も盛んで、旧暦の3月17、18日は東堂山講中の代参の人達で賑わいました。客殿など大きな建物もあり、そこに講中の人達も集まったのでしょう。仙道三十三観音第9番札所です。 1200年も昔のことですから、古文書がないと分かりません。それで郷土の歴史が重要になります。立派な大将軍との関係があったことより、寺博士は小野小町に興味津々のようでした。
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![]() 鐘楼。撞く者はいるのか? |
![]() 木漏れ日に映える仁王門 |
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