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![]() 二重の屋根が立派な観音堂 ![]() 仁王門に奉納されている大草鞋 |
会津「ころり三観音」つながりで 「徳一さんとの関係は薄いですが、会津ころり三観音の中田観音に行ってみましょう」と寺博士に誘われました。ここも多くの参拝者で賑わっていました。 普門山弘安寺という曹洞宗の寺で、仁王門には大草鞋が奉納されているのは同じです。その正面には二重の観音堂が見えました。 縁起では、普門院弘安寺で中田観音は通称です。本尊は銅造十一面観音像で脇侍の不動明王、地蔵菩薩像が揃っており、鎌倉時代の鋳造で中尊には「文永十一年(1274)甲戌八月」の銘文があります。これは国の重要文化財に指定されています。 ところで、創建のことですが、佐布川村(旧・会津高田町)の長者の一人娘常姫が地頭の若者に思いを寄せましたが、悲恋のうちに亡くなりました。父親の江川常俊が娘の供養のため、三尊を長尾山で鋳造、佐布川に運ぶ途中、動かなくなったので、今の地に安置したといいます。ここにも「だきつき柱」があります。 この寺の参道に面して小堂があります。現在は弁天堂です。元はこの三尊の厨子だったと言います。建立時代も仏像鋳造の時代と同じらしく、国の重要文化財に指定されています。扉や組物は禅宗様で、頭貫(かしらぬき)や木鼻(きばな)は大仏様の変形で、蟇股(かえるまた)と懸魚(けぎょ)は和様で、面白い建物です。 「巡り来てよもの千里を眺むれば これぞ会津の中田なるらむ」が御詠歌です。野口英世がアメリカ留学から戻った時、お母さんと一緒に参拝した写真が飾られているのが印象的でした。そのいわれから野口英世の帰依観音として有名だそうです。 私の創建に関わりのない寺を訪問するのも楽しみです。この寺は、私の時代の創建でないので、私の名はありませんが、私と関係の深い鳥追観音、立木観音と並んで「会津ころり三観音」の一寺なので、私の影響があったかも知れません。
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![]() 屋外にも弁天堂がある |
![]() 弁天堂 |
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