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![]() 簡素な薬師堂、江戸時代の僧・道安の建立 ![]() 調合寺のご本尊阿弥陀如来像 |
五薬師、如来像現存の2か寺の一つ 私はどんな僧侶だったのでしょう。実際に会津に来たのは私で、弘法さんは来ていないと言います。会津には十二薬師と五薬師があります。ここでは、私に関係の深い五薬師を紹介します。 中央薬師(勝常寺)、東方薬師(慧日寺)、西方薬師(上宇内薬師)、北方薬師(北山薬師)、南方薬師(野寺薬師)がそれです。 この中で薬師如来像が現存するのは、勝常寺と上宇内薬師堂だけです。なお、ほかに会津十二薬師霊場があり、上宇内薬師堂は6番目になっています。 今日は、この上宇内薬師を訪れました。ここへ来る前に訪れた恵隆寺が高寺(たかでら)にあって繁盛した頃、その一坊として存在した調合坊がこの薬師菩薩で、一時、独立して調合寺の時代もあり、真言宗でした。その後、荒れ果てていました。 それを見かね、小田原から来た道安上人が元禄年間に薬師堂を復元したと言われています。 寺の入口には仁王門が建っています。左右に仁王像を配し、薬師堂などの護身にあたっています。たくさんの草鞋が奉納され、その中の大草鞋は特に皆の目をひきます。仁王は金剛力士とか密迹(みつしゃく)金剛といい、忿怒形(ふんぬぎょう)で、一は開口、一は閉口し、これを阿(あ)、吽(うん)といっていますが、本来、一体の像の分身です。 上宇内薬師堂の開創も大同2年で私が開いたという説があります。薬師如来坐像の像高は1・76㍍、欅の一木造で日光・月光の両菩薩が脇侍で、国の重要文化財に指定されています。収蔵庫に収められており、拝観には事前予約が必要だったようです。 薬師如来は現世利益的傾向が強いことから、比較的早くから日本でも盛んに信仰されました。金堂の本尊として造立され、薬師経の転読が行われたからと思われます。手の薬壺を持つので病気平癒の祈願も行われ、今でも多くの信仰を集めているのでしょう。
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![]() 山門 |
![]() ![]() 一は開口、一は閉口。これを阿吽像という |
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