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![]() 三仏堂には、薬師・阿弥陀の両如来と六地蔵が安置されている
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重文のお堂に立木の木造千手観音立像 恵隆寺は、欽明天皇元年(540)現在地から2㌔離れた高寺山(たかでらやま)に中国の梁(りょう)の僧青岩(せいがん)が開基し、後に現在地に移されたと言います。 その後、寺が焼失、延暦23年(804)に利仁が再建しようと苦心していた時、私が援助して大同3年(808)に再興されたと言います。これについて、寺の掲示板には弘法大師とあります。「古い昔のことなので、どうでしょう」と寺博士は首を振っていました。仁王門にはたくさんの草鞋が奉納されていたので寺博士が健脚を祈っていました。 この正面に国の重要文化財指定の観音堂があります。桁(けた)行5間、梁(はり)間4間の寄棟造で鎌倉時代初期建立だそうです。この中に鎌倉時代初期の作と言われる木造千手観音立像があります。ケヤキ材の一木造、像高8.5㍍、1本の立木から刻まれた像としては日本最大と言います。この観音様の周囲には眷属(けんぞく)の二十八部衆、風神・雷神をはじめ、閻魔(えんま)大王、奪衣婆(だつえば)、中興の覚伝上人像などが安置されています。 千手観音立像は伝承では弘法大師または私の彫刻とあります。この観音様も「ころり三観音」の一つです。また、病気の苦や精神的苦しみから逃れるため、櫛を納める信仰もあります。観音堂境内には、だきつき柱があってだきつくと、願いがすべて成就するそうです。 小金塔は平成12年(2000)に再建、本尊の大日如来も修復されました。三仏堂には、薬師・阿弥陀の両如来と六地蔵が安置されています。会津二十一地蔵巡り15番札所、会津七福神の福禄寿も安置されています。 平日でも参拝者の多いのには驚きました。観音像は平成24年に修復、その前の垂れ幕は33年目に替えます。これを斗張(とちよう)といい、現在のものは平成10年作です。 「驚きました。歴史が古いので戦争、大地震などの災害もあり、維持には苦心しましたね。私はどうだったのでしょう…」
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