![]() |
![]() 樹木林のなかの北山不動尊 ![]() ![]() 北山不動尊内部 道路に石鳥居がある |
弟子が建てた不動尊を見に行く 私は法相宗の僧侶です。奈良時代の中頃に三論・成実・法相・倶舍・華厳・律の「南都六宗」が整備されました。実際には、法隆寺・大安寺中心の三論宗と元興寺、興福寺を中心にした私の所属した法相宗が主流でした。成実は三論に、倶舍は法相に属していました。東大寺を中心にしたのが華厳宗、唐招提寺を中心にしたのが律宗で、この2派は少し遅れました。 この時代は特定の宗祖の教えがあるのでなく、特定の信徒の集まりでもなく、仏教を研究する学団で、鎮護国家のためのものだったのです。大きく変わったのは天台の最澄、真言の空海の登場です。ここで、国家の仏教から民衆の仏教へなったのです。二人は唐へ渡り、それが今までの仏教を大きく変えたのです。最澄は「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶつしょう)」といって「すべての者は真理に到達できる能力を持つ」と言いました。私たち法相宗の三乗説と合わず、私が反論したと思います。 ところで、私が常陸国に入って友部の太田(現・笠間市)に養福寺を建てたことは前にお話しました。その時、私の弟子が友部の白鳥湖の北山に不動尊を建てました。博士はこの石段がきつく感じたと言っていました。 「私もそこへ行ってみたい」と寺博士に御願いしました。山桜の並木道があり、池が回っていて公園になっています。私は弟子を連れて来たかどうか、覚えておりません。石に不動の梵字(ぼんじ)を彫って祈願したといいます。その後、慈覚大師から歴代住職が、別当として守ってきたそうです。一時、ここを治めた宍戸家の祈願所になりましたが、明治維新後、元に戻ったそうです。 昭和42年(1967)道路拡張のため、現在地への移築が決定、昭和46年、完成したといいます。道路に石鳥居があるのが不思議でしたが、手水鉢、不動橋、狛犬、賽銭箱、石階段、厨子などと一緒に寄進されたものです。今も参拝する人が多いと聞いて安心しました。
|
![]() 不動の梵字を彫った石に祈願 |
![]() ![]() 狛犬 |
![]() |