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![]() 北関東三十六不動尊霊場32番札所となっている ![]() 不動尊の石仏 |
三度の火災乗り越え本堂建築へ 寺博士が『東国の古代仏教―寺と仏の世界―』という平成6年(1994)に茨城県立歴史館で開催された特別展の図録を見せてくれました。 「都を離れて地方の山岳寺院に居住する僧が現れた。そのなかのひとりに、磐梯山麓の恵日寺や筑波山中に中禅寺を開いた徳一がいる。徳一は最澄と三一権実(さんいちごんじつ)論争を行ったばかりか、空海の教義にも疑問を提起するなど、平安時代の新しい仏教である天台・真言宗に対し、古い立場の仏教を代表した人物」とありました。 これらの事については今までに、寺博士が紹介しているので省略します。それにつけても、私が奈良仏教を東国に運んできたことは間違いないのですね。早速、寺博士に誘われました。 私が開山した寺ですが、古文書など一切ありません。筑波山一乗院真福寺愛宕坊という真言宗の寺で、大同2年(807)筑波山西側中腹にありました。しかし、平安時代末期と室町時代末期の二度火災にあい、現在地に堂塔伽藍(がらん)を整えたそうです。 江戸時代には京都醍醐寺三寶院の直末中本寺の格式をもち、末寺を持っていました。しかし、三度目の火災に遭遇、江戸末期、堂宇は全焼しました。その時、類焼を免れた門番屋敷を本堂にし、現在まで続いています。 本尊は大聖不動明王で「開運出世」の不動尊として多くの人々の信仰を受け、北関東三十六不動尊霊場32番札所となっています。「私も出世するようにお祈りします」と寺博士は頭を下げていました。 ここからの筑波山の眺めは格別です。門前には六地蔵が建ち、不動尊の石仏もみられます。一乗院では、今、本堂建築のための浄財を集めています。確かに、仮堂の時代が150年も続いています。しかし、大変な事業です。私も、新殿落慶の時にまた訪れます。その日を楽しみに寺を去りました。
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![]() 本堂 |
![]() 六地蔵と山門 |
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