一対の宝篋印塔は弘法大師の作とも
いわき市に私がこんなに多くの寺を創建したなど考えられません。鹿島町の養照山寶蔵院金光寺に来ました。
「僧徳一が大同年間(1688~1703)開山と伝えられている」と縁起にあります。その時は長福寺といっていたようです。現在の金光寺になったのは、元禄年間(1688~1703)で現在は高野山真言宗です。本堂の本尊は聖観音菩薩立像で71㌢ですが、作者、年代ともに不詳だそうです。本堂の欄間に天女が彫られています。柱に使われている犬釘から、現在の本堂は江戸中期以後の建築であろうと推定されています。
本堂の右に阿弥陀堂があり、阿弥陀如来が安置されています。その横の急な階段を登ると磐城三十三観音の16番札所の久保中山観音堂があります。金光寺はその別当寺になります。ここの本尊は像高182㌢の十一面観世音菩薩坐像です。この堂の中には一対の木造宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、弘法大師の作として大切にされています。
「あさひがた 夕日にもれし 中山は 波のひびきに松風の音」が御詠歌で、掲示版には「中山と 聞いて上りて 朝日さす 森のこかげに 立つは白波」という歌もあります。この観音堂の南側に約40個の横穴古墳群、そして、北側には湯殿大権現があり、真言密教と習合していました。
境外仏が、鹿島街道の合流点の岩にあります。薬師如来の磨ま がいぶつ崖仏2体がそれです。ここの地名は薬師前で、棟札によると、元禄元年(1688)岩薬師として堂宇が再建され、多くの信者で賑わったといいます。
「徳一さんも、常陸では磨崖仏を彫りましたね。眼のない観音様でしたね」
「あの後は、どこにも私が岩に仏像を彫ったという伝承はなさそうですね。あれだけだったのでしょう」と寺博士と話しました。
【メモ】
養照山寶蔵院金光寺
〒971-8144
福島県いわき市鹿島町久保字西の作71
電話0246-58-3092
▼宗派 高野山真言宗
▼本尊 聖観世音菩薩
▼磐城三十三観音 第16番(久保中山観音堂) |
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