徳一が歩く   佐竹寺(40)                                    (財)茨城県郷土文化振興財団


国の重要文化財の本堂


本堂内部

    再建された本堂は 国の重要文化財

 「今日は常陸太田に行きます」と寺博士がにこにこしながら話していました。佐竹寺は博士の好きな寺です。私は大同2年(807)に佐竹寺を現在の隣村に建てたと正徳4年(1714)の記録にあるそうです。一説では、寛和元年(985)元密の建立ともいいます。
 天文12年(1543)火災のため、堂宇、古文書を焼失、天文15年(1546)、現在地に再建されました。今の本堂がそれで、国の重要文化財です。上層は茅葺、下層は柿葺で、正面中央は唐破風造りです。この本堂には私も驚きました。
 鎌倉時代になると、常陸佐竹氏の始祖、佐竹昌義の帰依を受け、寺領300貫文の寺地を与えられ、佐竹氏の菩提所となりました。現在でも佐竹の日の丸軍扇の定紋がつけられ代々の位牌が安置されています。
 江戸時代になると、徳川光圀から寺領を寄進され、北向観音といわれ、安産厄除の仏様として信仰されています。この観音は十一面観音像で、坂東三十三観音の22番札所で、多くの巡礼者が参拝しています。私の開基した寺が賑わうのは嬉しいことです。
 「ひとふしに千代をこめたる佐竹寺かすみかくれに見ゆるむらまつ」が御詠歌です。
 観音堂には「奉納坂東二十二番霊場越後国松代町福島西方秀房当年八十歳同行二人」など、巡拝の木札、紙札が見られます。高山彦九郎は『北句日記』に「木崎より押に行き稲木村を経て天神林村、これ佐竹寺なり、仁王門を入り鐘堂、聖徳太子堂があり、観音堂七間四面御朱印八石…」と書いています。
 今の仁王門は昭和15年(1940)の再建で、仁王像は宝永(1704~11)の造立で火災は免れました。無住の時代が長くありました。
 なお、この地は都々逸坊(扇歌)の出生地で、その像を安置。「都々逸下手でもやりくり上手今朝もななつ屋でほめられた」と。

  【メモ】妙福山佐竹寺
北向観音・佐竹観音
〒313-0049 茨城県常陸太田市天神林町2404 電話0294-72-2078
【宗派】真言宗豊山派
【本尊】十一面観世音菩薩像
厄除け・安産・子育て


巡拝の木札・紙札が見られる


仁王門


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