徳一上人1200年慶讃・・・の木柱
いわき市遠野町へ来ました。お寺を探すのは大変です。昼間は民家を訪ねても、留守居の人もいなくて、人探しで苦労します。いわき市は真言宗智山派の多いとろです。因みに私は法相宗に属していました。
円通寺に行きますと、本堂前に「當山開創一二〇〇年徳一上人慶讃…」の木柱が立っていたので嬉しくなりました。檀家の人たちが私のことを顕彰しているのです。私が去った後のことは分かりません。
永享12年(1440)2月、宥徳上人の代に再建されたと縁起にはありますから、無住の時もあったのでしょう。土地の豪族上遠野大炊頭に保護され、徳川幕府3代将軍家光から30石の御朱印が与えられていました。末寺28か寺があり、檀林寺で各地から多くの僧侶が集って修行しました。
本尊は聖観音菩薩坐像で、福島県指定文化財です。制作は永享12年(1340)、垂下様式といって裳裾を台座から垂らした鎌倉時代の特徴を表わしています。像高78㌢、檜材を使った、寄木造りで、玉眼入りです。左手は軽く結んで蓮華の蕾を持ち、右手で花を開こうとしています。蕾は人の心にある仏性を表わしています。
ほかに、仏像は大日如来、千体仏、地蔵菩薩、不動明王、八幡菩薩などが、安置されています。この中で八幡菩薩については、寺博士が「もとは、豊前地方の豪族の氏神で応神天皇を前身に早くから神宮の地位を得たもので、本地は阿弥陀如来です」と説明してくれました。
本堂の前には石灯籠があり、扁額の「園通楼」は真言宗仁和寺大僧正、東寺の長者を務めた道恕(1668~1733)の書です。「寺の説明に東大寺大僧正とありますが、違います」は寺博士の意見です。大正時代には、高野山から大師尊像の分霊を授かり、大師堂に祀り信仰を受けています。
|