徳一が歩く   大聖寺(34)                                    (財)茨城県郷土文化振興財団


亀岡文殊堂




朱塗りの仁王門

    日本三大文殊のひとつで学業に利益のある仏様

 山形県東置賜郡高畠町亀岡の真言宗智山派の大聖寺へ行きました。町の人は亀岡文殊と呼んでいます。大聖寺は亀岡文殊の別当寺というのが正式の言い方です。今日も寺博士と一緒です。
 寺博士は文殊菩薩を話題にしました。奈良県桜井市の安倍文殊院、京都府宮津市の切土文殊とともに、日本三大文殊と言われています。学業に利益のある仏様といわれていることは、私も話しました。
 ところで、私はここでも大事にされています。大同2年(807)、私は東北布教のため、この地を訪れ、ここが中国の五台山に似ていたので、それを好んで建立したといわれているそうです。
 寺の入口には仁王門があります。そして朱塗りで、両脇には仁王像が安置されています。
朱塗りの門が眼だっていました。仁王門をくぐると両脇に杉林が続き、石畳階段を上り大聖寺本堂が見えてきました。私は寺博士を歩かせました。今は自動車であがれます。ここには山門があります。この大聖寺が勅願所で徳川幕府の5代将軍綱吉から家茂までの10代にわたり朱印100石を受けたといいます。
 ここから亀岡文殊堂までさらに石畳の参道を歩きました。途中に十六羅漢像、芭蕉の句碑もありました。そして、ここに大聖寺鐘楼があります。天正10年(1951)伊達氏の岩出山城転封のとき、米沢の真福寺も移転しました。伊達正宗は真福寺にあった永仁4年(1296)鋳造の梵鐘を寄進しましたが、破損が激しく、昭和26年(1951)、原型通りに復元されました。
 とにかく歴史的に由緒があり、上杉景勝は米沢に移封された翌年の慶長7年(1602)、歌会を催し、100首が文殊堂に納められました。亀岡文殊堂は朱色が鮮やかで屋根の曲線が見事です。織姫の伝説などたくさんありますが、またの機会にします。

 【メモ】
 松高山大聖寺 真言宗智山派 本尊 大日如来
 県指定聖観音菩薩立像もある 亀岡文殊堂  文殊菩薩像
 所在地  山形県東置賜郡高畠町亀岡4028‐1 電話 0238‐520444

        



石畳の参道


本堂内部

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